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先日福島県の浪江町に行って参りました。
浪江町の市町村役場に問い合わせた所、今年の4月に常磐線がやっと復旧し、隣の南相馬市原町から浪江町までの区間が開通したとのこと。
早速出かけてみることにしました。
東日本大震災から6年たち、その後ゴーストタウン化したこの街に灯火は灯ったのでしょうか?
やっと電車が開通したばかりですから、私は「人はまだ住めないだろうし、まだ瓦礫の山だろう」ぐらいに思っていました。
然しながら、結果は私の全く予想していない光景を目の当たりにしたのでした。
皆さん、その予想していない光景は何だと思いますか?
浪江町に向かう常磐線の中で、窓の外の景色を観ているうちに私は思わずゾッとして絶叫したくなりました。
この森は何か?!
この自然の姿は何か?!
悪魔の森と言ったらおおげさですが、余りに幹や枝が弱々しくグニャグニャ曲がったものがあり、生き生きした森林には見えないのです。
浪江町も市街はまだ人は住めず、破損した建物家屋はそのまま。街のなかの多くの木や植物の枝がダラリと下がって上に伸びていかないものが散見されます。こんな弱々しい変わりはてた姿は見たことがありません。
汚染の酷さは、自然をみれば、その悪魔の爪痕がいかに深いかが分かりました。
浪江町付近の農村の中には、まだ除染活動実施中の旗が立っている所がありましたし、環境省の除染業者が出入りしているようでした。
自分のガイガーカウンターで浪江町の放射能を計測したら、ここ1カ月で0マイクロシーベルト。それで常磐線やバスが開通して、すこしづつ人が訪れているようでした。
世の中には救済の手が行き届かず、見捨てられる苦しみがまだまだあります。
また世の中の風潮として、不幸を表に出したがらず、フタをして隠してしまいます。
浪江町を観て一番初めに私が強く感じたことです。
朝6時、花と果物の町福島市に到着しました
原町~浪江町までは開通しています。それ以降はまだ立ち入り禁止区域です
浪江町駅前のタクシー会社です。震災当時そのままです
浪江町は倒壊した家屋はそのままで信号が点滅するだけです
ダラリと下がった樹木。太陽に向かって伸びていくことができません
あの奥にある黒い袋は放射性廃棄物?まだ除染が続くのでしょうか
復興に拍車がかかるとよいですが
浪江町にも可憐な草花が必死で花を咲かせていました。美しかったこの町が戻ってきてほしい!!!!
福島に戻りました。漬け麺でほっと一息