2020年6月 7日
名著に学ぶ『ギャーナ・ヨーガ 』(1)
... このように、人びとが過去とか未来とかを思うのをやめるとき、彼らが肉体という観念をすてるとき わーー肉体は去来する、限定されたものなのですから――そのとき、彼らはもっと高い理想にまでのぼったのです。肉体は、真の人ではありません。心もそうです。心は大きくなったり小さくなったりするのですから。
... ひとり、永遠に生きることができるのは超越した霊です。肉体と心はたえず変化しつつあり、実はその水は不断にかわっているのだけれど、たえ間のない流れという一つのすがたであらわれている川のように、変化にみちた現象の一つづきの、名であるにすぎません。この肉体の一つ一つの微粒子が、不断に変化しつつあるのです。
... 何分間もつづけて同一の肉体を持っている人などはいないのですが、それでもわれわれはそれを同一の肉体であると思っているのです。心もそうです。一瞬間それは幸福で、つぎの瞬間には不幸である。一瞬間はつよく、つぎの瞬間にはよわい、たえずかわりつつあるうずまきです。それは、無限なる霊ではあり得ません。変化は、有限なるものの中にだけ、あり得るものです。
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絶え間ない変化の中で、無限の霊であるには、どのように生きれば良いのでしょうか。それは、肉体という刹那的な感覚を離れた、もっと高い理想に向かっている意識なのでしょう。
「お金があれば幸せだ。」「出世すれば幸せだ。」「褒められれば幸せだ。」「思った通りになれば幸せだ。」
私たちは、何かを貰うと幸せですが、何かを失うと瞬く間に不幸になります。
そして、いつもいつも二極の価値観で揺れています。いつもいつも心は外の刺激で揺れています。
そのような浮き沈みの中で、そして私自身も、大変弱い存在だなとつくづく思います。
ギャーナヨーガは極めて難解ですが、混沌とした心の指針なき時代にヒントを与えてくれます。