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2023年12月 2日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[2]カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


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原初の精神  -アフリカ史- リビア[2]
カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

primordial spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [2] Gaddafi, proud of being a nomad

前回はリビアという国がオスマン帝国と、イタリア(ナチスドイツ)に蹂躙されてきた戦火の絶えない国でした。そうした戦乱の歴史を背景として、カダフィことカッザーフィーは大きな改革者として生まれました。
この緑の無地の旗は、彼の作った大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国 の国旗です。


リビアの改革を成功させた英雄であるにも関わらず、地位や名誉にもこだわらず自らを生涯「大佐」と名乗り、民族衣装をまとい、また遊牧民の生活にこだわり、訪問先の外国でもテントを張って野営していたそうです。そうしたユニークな庶民性や人間味が多分にある人でした。

テント生活が好きなんてよほどアラブ民族を誇りとして、伝統を大切にしていた方だったのでしょう。

この記事を書くに当たりまして参考とした良書がこちらです。文章も綺麗で読みやすいです。
クーデター時の状況も克明に描かれているよう思います。随分熱血漢な顔をされていますね。

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中を開くと直筆のサインが!!
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■概要: カッザーフィーはどんな人だったのか

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ムアンマル・アル=カッザーフィー(アラビア語: معمر أبو منيار القذافي‎, muʿammar ʾabū minyār al-qaḏḏāfī, 1942年6月7日 - 2011年10月20日)は、リビアの軍人・革命家・政治家で、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(社会主義人民リビア・アラブ国)の元首。

中部リビアの砂漠の遊牧民ベドウィンの子として生まれ、士官学校に入学、ナセルのエジプト革命の影響を受け、自由将校団を結成して革命運動を指導する。
1969年9月、リビア革命と言われる「無血」クーデターによって王制を倒して27歳で権力を掌握し軍事政権をつくった。

政権を獲得後、2011年に至るまで42年にわたり長期独裁政権を維持したが、2011年リビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カッザーフィー派部隊によって殺害された。

その豊かな石油収入を背景とした強硬な外交政策と、舌鋒鋭く欧米や国連を批判する姿から、危険な独裁者と見なされ「中東の狂犬」とよばれ警戒されていた。

民族衣装をまとい、遊牧民テントを好み、外遊時は遊牧民テントを持参して野営するなど、ユニークな存在として広く知られた。

その著書『緑の書』3巻(1976~79)では、資本主義でも社会主義でもないという意味での第三の普遍理論を目ざしています。

日本では一般にカダフィ大佐という呼称で知られている。1993年から2009年まで1リビア・ディナール紙幣や50ディナール紙幣に肖像が使用されていた。

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◆称号:大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の最高指導者及び革命指導者
الشقيق القائد ومرشد الثورة

リビアのモスク

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■カッザーフィーの生い立ち

カッザーフィーは1,942年春にスルトの南方40キロメートルの砂漠の中に遊牧民のテントで生まれました。彼はアラブ化したベルベル人の貧しい遊牧民のカダファ族に生まれたと言われています。
カッザーフィーの父はラクダやヤギ、ヒツジを放牧し、時折それを地中海沿岸の町やフェッザーン地方の内陸都市の市場に売ることで、生計を立てていたそうです。

遊牧民の子供は差別されることも多かったようですが、カッザーフィーは勉学に優秀で尊敬されていました。

両親は遊牧民の大半がそうであるように、読み書きができなかったのですが、子供たちに伝統的な昔話や英雄物語を話して聞かせることも多かったそうです。

リビアの近代史は、オスマントルコ帝国やイタリアによって蹂躙されてきた歴史でした。

そのためこのような部族の歴史を受け継いだカッザーフィーは、早くから政治活動に目覚めていたのでした。
彼は週に一回巡回してコーランを教える教師から、イスラムの教えを学んでおり、彼らからリビアの英雄について学んでいたのでしょう。

カッザーフィーは若いころか政治に興味を示すとともに、士官学校に入学するとらエジプトのナセルに倣って、地下組織、自由将校団を結成し、停滞したサヌーシー朝王家打倒を計画します。
その頃から自分の右腕になるような人物を慎重に選んでいたのでした。

■無血クーデターのリビア革命

士官学校では4か月のイギリス留学があり、陸軍隊長になる訓練が施されました。この時期、イギリスでは中東やアフリカ労働者がごみ収集や道路の清掃など、卑しい職業をさせられていることに、大きな影響を受けました。
彼は執拗な人種差別をうけ、それがのちに、リビア革命を引き起こす引き金になったといえるようです。

この時期リビアはサヌーシー王朝のイドリース国王の元でひどく疲弊していました。

1969年にムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)が、イドリース1世 (リビア王)を無血クーデターで廃位し、実権を握った「リビア革命」が起きます。

1969年9月1日、カッザーフィーは同志の将校たちと共に首都トリポリでクーデターを起こし、政権を掌握した。病気療養のためにトルコに滞在中であった国王イドリース1世は、廃位されて王政は崩壊、カッザーフィー率いる新政権は共和政を宣言して国号を「リビア・アラブ共和国」とした。

同年11月に公布された暫定憲法により、カッザーフィーを議長とする革命指導評議会、(日本のメディアは終始一貫して「革命評議会」と呼称していた) が共和国の最高政治機関となることが宣言されました。

1976年には毛沢東語録に倣い、自身の思想をまとめた『緑の書』という題名の本を出版した。(毛沢東の統治を倣っていたとは少し残念ですが)


<コーランに依拠した『緑の書』>

第三国際理論(Third International Theory)もしくは 第三普遍理論(Third Universal Theory)とは、リビアで実施される政体についての理論で、カッザーフィーが1970年代初頭に提唱したものである。部分的にイスラム社会主義とアラブ民族主義に影響されたこの理論は、資本主義をもはや誤りであることが証明されたイデオロギーであると述べ、第三世界諸国のために、資本主義および共産主義の代替となる新たな普遍的体制を提案している。また第三国際理論の哲学的基礎の多くはコーランに依拠している。

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<大リビア設立>

そして1977年、カッザーフィーは人民主権確立宣言を行い、「ジャマーヒリーヤ」を正式に国家の指導理念として導入した。これにより、国号も「社会主義リビア・アラブ・ジャマーヒリーヤ国」(1986年に「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」と改称)に改められた。



2023年1月 8日

神秘のカディーシャ渓谷 レバノンフェニキア人が伝えるものは(浜松町)


レバノン大使館お墨付きレストラン
世界遺産「神秘のカディーシャ渓谷と神の杉の森」フェニキア人が伝えるものは?

「ビブロス レバニーズ レストラン」
Byblos Lebanese Restaurant

新年あけましておめでとうございます。

今日は快晴の中、イスラムモスクのようなお洒落なお店の中で、パレスチナ料理を楽しんで参りました!!

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こちらのお店、実はレバノン大使館お墨付きだそうで、都内のアラビア料理店の中でも、
見た目がとっても綺麗なレシピが沢山あるのですね。

シルクロード時代の民族生活の郷愁のようなものが込み上げてしまい、思わず大興奮してしまいました。
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「レバノン」と言えばかつて地中海を所業貿易で支配したフェニキア人の国でありレバノン杉で有名ですよね。

それでぜひ一度レバノン料理を試してみたくなり、早速浜松町まで行って参りました。

店内は明るいシャンデリアと、モザイク、アラビア文字の装飾など独特のイスラム教の世界です。

いつ見てもイスラム教の幾何学模様と装飾は美しいなと思います。

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スタッフの女性はムスリムの服装をされています。
イスラム教の女性は慎み深く、奥ゆかしくて、とても女性らしい雰囲気です。


☆ここでレバノンの国を少しご紹介させて頂きますね↓↓

【レバノン共和国 Lebanese Republic】

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レバノンは地中海盆地とアラビア内陸部の交差点に位置することから、豊かな歴史を持ち、宗教的・民族的な多様性を持つ国です。
国旗の赤は勇気と尊い犠牲を、白は純粋さと平和をあらわし、中央にあるレバノン杉は、この国のシンボルで富と力をあらわします。
レバノン杉はレバノンの世界遺産「カディーシャ渓谷と神の杉の森」に僅かに生息している絶滅寸前の希少木です。
レバノン杉は強靭で古代イスラエルのソロモン王は、このレバノン杉で神殿を作り、ノアの箱舟はレバノン杉であったと言われます。
フェニキア人はレバノン杉の貿易で莫大な富を築いそうですが、伐採が第2次大戦頃まで続き国の全土にあったレバノン杉の森はほとんど消滅してしまいました。
今では樹齢1000年以上の巨木は全国でも1200本程度残っているだけで、そのうちブシャーレの奥の標高2000メートル付近の保護区には375本が残されています。
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☆行ってみたい!神秘のカディーシャ渓谷(世界遺産)

戦乱のベイルートとかけ離れた何とも言えない静かな風景ですね。

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今日の3人で食べたメニューがこちら。
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さて、レバノン料理で有名なのはなんと言っても「ホンモス」(左側上下の白いクリーム)↓

丸く絞ったクリーム状ディップで、オリーブオイルが真ん中にあります。これはヨーグルト&ひよこ豆&ごまソースなのです。

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こちらはパンにつけて食べるもの。
パレスチナの世界では定番料理です。


個人的におすすめはスイーツ3点。

バラクワ: トルコの高級宮廷お菓子
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デーツケーキ: デーツケーキなんてよそでは食べれない。超おいしい。
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ピスタチオケーキ: 淡い緑色でとても上品
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続いてレンズ豆のスープ。
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これもとっても香りが独特です。スパイシーな香りに遊牧民のシルクロード時代の郷愁が込み上げてしまい、思わず大興奮してしまいました!


こちらはラム肉サンドイッチ (アライエス・クフタ) かなりガッツリメニュー
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トマトソースや茄子、パンの煮込み料理 (ファッタトゥ・アル・マグドゥース)
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もう遊牧民族的な記憶が蘇り頭がパンクしそうです。はるか悠久のオリエントの歴史に思いを馳せてしまい懐かしくて仕方がありません。(ラム肉は海洋性民族というより遊牧民か)

クフタはさすがに胃がもたれた(°▽°)...

今年もオリエントの歴史、イスラム教やアフリカの歴史研究や学びを、頑張ってお伝えします。どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。


2022年4月 3日

原初の精神 -アフリカ近代史・現代史- モロッコ[3]

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原初の精神  -アフリカ近代史・現代史- モロッコ  [3]

Primordial spirit 
- African modern history / present history - Morocco  

第3回  ワッタース、サアド、アラウィー朝まで

■弱体王朝ワッタース朝

マリーン朝の滅亡後、1472年にワッタース朝フェス王国が成立しました。
ワッタース朝は時期としては、大航海時代の初期にあたり、タンジェ、ララシュ、アザンムールと、ポルトガルに次々と都市を攻略された弱体な王朝でした。
ワッタース朝ではキリスト教勢力に対抗する措置として、シャリーフやスーフィ教団長の役目が重視されました。

マラケシュ 市場
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■サアド朝によるアガディール奪還

弱体化したワッタース朝に代わって盛り返したのが、スーフィー王朝のサアド朝です。
スーフィー教団で開祖のムハンマド・カーイムはポルトガルにジハードを宣言します。
彼の死後もサアド朝は攻略されたアガディールなどを奪還、ワッタース朝を滅ぼし、オスマントルコ帝国をしりぞけました。

モロッコのモスク
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■ポルトガル軍を破るサアド朝

サアド朝は、1578年に後継者問題に乗じてポルトガルの国王セバスティアン1世がモロッコに進軍したが、アルカセル・キビールの戦いで侵攻してきたポルトガル軍を破り、セバスティアン1世は戦死しました。


スパイシーなスープ
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モロッコ のサアドはスルタン マンスールの時期最盛期わ迎え、サハラ超えし、西アフリカの都市トゥンブクトゥ支配します。
サハラ遠征はモロッコとサハラ双方に様々な文化交流を引き起こし、サハラにはマグリブの学問文化が伝えられました。この時期、弱体化したモロッコが多いに勢いを盛り返した時期と言えます。
彼の死後サアド朝も後継者争いにより弱体化します。

珍しいメクネスの日時計
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■アラウィー朝  スルタン・イスマーイールによるメクネス建設

1660年にアラウィー朝が成立します。アラウィー朝もサアド朝と同じくスーフィー王朝で現在でも続いているモロッコの王朝です。

アラウィー朝の中でも権力を発揮したのが、スルタンイスマーイール(ムーレイ・イスマーイール・イヴン・シャリーフ)で、モロッコ最盛期を築き軍事的成功をおさめます。彼の黒人親衛隊(又はアビド・アル=ブハーリー)という黒人奴隷を頼りとした強力な軍隊の創設により、政権基盤の強化を行いました。

メクネスを作ったスルタン・イスマーイール
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彼はメクネスに遷都しモロッコ に平和をもたらしたとも言われますが、一方で彼の残酷さと厳格さから、ヨーロッパ諸国からは血まみれ王(bloody king)」、また母国では「戦士王(Warrior King)」と呼ばれていました。

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Wikipedia より
イスマーイールはサレとラバトに拠点とする海賊船の艦隊を支配し、彼らが地中海と黒海での襲撃を通じて彼にキリスト教徒奴隷や武器を供給していた。彼は特にフランス王国、グレートブリテン王国、スペインといった海外の強大国と重要な外交関係を樹立した。そのカリスマ性と権力の大きさから同時代のルイ14世と比較されることも多く、イスマーイールはその残酷さと即決裁判の厳格さから、ヨーロッパ諸国では「血まみれ王(bloody king)」との渾名がつけられた。また母国では「戦士王(Warrior King)」として知られている。
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モロッコ名産アルガンオイルの実
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彼はメクネスに遷都後、古い建物を片っ端から壊し、数多くの壮大な宮殿、庭園、記念碑的な門、モスクや40km超におよぶ壁などを含む、巨大な城塞と宮殿作りに取り組みます。

同じ時代にヨーロッパで太陽王として君臨したルイ14世のエリザベス宮殿に対抗したとも言われています。

1727年にイスマーイールは病死ししました。

2022年2月 5日

原初の精神 -アフリカ近代史・現代史- モロッコ[1]

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原初の精神  -アフリカ近代史・現代史- モロッコ  [1]

Primordial spirit 
- African modern history / present history - Morocco

モロッコは数多くの王朝が興亡したムスリムの国でアフリカ北西部に位置する立憲君主制の国家です。
西は大西洋、北は地中海、南東はサハラ砂漠、中央にはアトラス山脈がそびえています。

アトラス山脈はサハラ砂漠の熱風を遮るとともに、地中海の湿気で雨をもたらすことで、モロッコのあるマグレブ地域の住民に住みやすい環境を提供しています。

モロッコは1000年以上の歴史を持つフェズ、首都ラバト、マラケシュ、カサブランカ、シャウエン、メクネス、ムーレイイドリス、ワルザザード、エッサヴィラ、タンジェなど歴史のある都市が多数あります。

古都マラケシュ
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モロッコの歴史イスラム教成立の時期と同じですから、エジプトのように紀元前に遡る古さではありません。

今回よりモロッコの歴史と文化を5回に分けてお送りします。
第1回  イスラム教の到来、イドリス朝の成立
第2回  ムラービト、ムワッヒド、マリーン朝
第3回  ワッタース、サアド、アラウィー朝
第4回  近現代  ムハンマド5世、ハッサン2世、ナショナリズムと独立

最終回はモロッコの歴史的に有名な観光都市をいくつかご説明します。

イスラム教の栄華と発展を象徴するかのような、モロッコの歴史をご紹介出来ることを嬉しく思います!

モロッコ ワルザザート
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モロッコ マグレブ料理
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先史時代にベルベル人が現在のモロッコに現れました。モロッコの人口の多くはアラブ人とこのベルベル人が占めており、ベルベル人はモロッコの独立自治を守り、歴史の中で大きな役割を果たした民族です。

紀元前3世紀からベルベル系のマウレタニア王国が栄えました。このマウレタニア王国はローマの支配下で衰退します。
ローマ支配下のモロッコでは、タンジェ、リクソスなどローマ風都市が建設され内陸部で栽培された小麦、オリーブがイベリア半島に輸出されました。しかしながらアトラス山脈以南やサハラ砂漠以南ではローマの影響はほとんど受けませんでした。

マラケシュの市場
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モロッコにイスラームの到来

最初にイスラーム都市が北アフリカに現れたのは、今のチュニジアにあたる地域に建設されたカイラワーン(ケルアン)です。チュニジア中部の内陸部にある古都であり、670年,ウマイヤ朝が派遣した北アフリカ総督ウクバ・ブン・ナーフィーが建設した軍営都市で、マグレブ地方最古のイスラム都市です。

8世紀初頭にはイスラム帝国であるウマイヤ朝が東方から侵攻してモロッコを征服し、モロッコのイスラーム化とアラブ化が始まります。
788年にアッバース朝に対し反乱を起こし、その勢力争いに敗れたアラブ人 ムーレイ・イドリース1世はモロッコの母方の地域に亡命しました。

ムーレイとはイスラム教で「聖者」の意味です。
(イスラム聖者の話はまた別途説明の機会を設けようと思います。)

イドリス朝の建国と伝説

たぐいまれな才能に恵まれ勇敢なイドリス1世紀は、原住民ベルベル人の支持を受け、フェズ  にイスラム王朝を築きました。彼は渾身の力でベルベル人、アラブ人をイスラム教に改宗させます。

イドリース1世はシャリーフという預言者ムハンマドの末裔の家系でした。

フェズは1000年以上続く世界最大の迷宮都市であり、一説によれば神のお告げで生まれた都市と言われています。イドリス1世がフェズを建国した時にこのような伝説があったと言われています。


有名なフェズの染色作業

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イドリス1世がフェズ川周辺に都市の建設の構想を練っていたとき、老人が現れて「この地にはかつてフェズという都があったが、滅んでしまった。やがてイドリスを名乗る男がやってきて町を再建するでしょう。」と告げたことで、彼は「この町の再建が神から与えられた私の使命であり、アッラーの名のもとにこの町をフェズと名付けよう。」と、決意したといわれています。


イドリス1世が亡くなったあと、彼は自分の作ったイスラム教の聖者の街「ムーレイイドリス」の霊廟に埋葬されました。今でもこのイスラム教の聖地は緑の街と言われて、山奥で神秘的な雰囲気をたたえているそうです。

フェズの大発展

その息子ムーレイ・イドリース2世の時代にフェズは正式に首都となります。チュニジアやスペインから新しい移住者を受け入れました。
街の中心にはフェズの建設者イドリース2世の霊廟(「サヴィア・ムーレイ・イドリス廟」)があり、国中から巡礼者があとをたちません。巡礼者はバラカ(神の祝福)を得ようとして、墓に近づいて祈願し、子育てや結婚祈願をするのでした。

イドリース2世のもと、フェズはイスラム諸学の知識人が集まるモロッコの芸術・文化・学問の中心地として繁栄し、マドラサという学校も作られました。
フェズは驚異的な発展を遂げ、857年から859年にかけてカラウィンモスクが設立されました。
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2022年1月 5日

『バラカ』(神の恩寵) "البركة"


モロッコ  マグレブ料理で、輝かしい北アフリカ イスラム王朝の1200年の歴史を見た‼️


『バラカ』(神の恩寵) "البركة"

    「私達は自由と独立に向かっている」


あけましておめでとうございます。

『原初の精神 』アフリカ史を連載していますが、
来月からいよいよモロッコ史(全5回)をお届けします。

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モロッコ の輝けるイスラム王朝の興亡と、植民地からの独立の歴史、そして美しい都の成り立ち、スルタンの活躍を一通り記事を書かせて頂き、本当に感動が込み上げて参ります。

フェズ
マラケシュ
カサブランカ
ムーレイイドリス
ラバト

今日はモロッコ 史を書き上げたお祝い❓に家族で
都内でマグレブ料理パーティー🎉でした。

今年もモロッコ を初めとしたアフリカ諸国の独立の軌跡をご紹介することで、その精神を学んでいくきっかけになれればと存じます。

皆さまにも『バラカ』(神の恩寵)البركة
が降り注ぎますように!

何卒本年も宜しくお願い申し上げます。


⭐️アフリカ大陸上陸  大遠征の日が来る‼️⭐️

「Alandalus」江古田 モロッコ マグレブ料理

タジン鍋 
アツアツの牛肉鍋とチキン鍋。スパイシーでパンに合う
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ミントティー 
とっても香りが良くて皆な気に入りました
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店内は優しい日差しとモザイク
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カサブランカはあの映画の地
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色鮮やかなモロッコのガラス瓶
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2021年10月 3日

原初の精神 -アフリカ近代史・現代史-

africa-map.jpg← Freepik - jp.freepik.com によって作成された logo ベクトル

今月よりアフリカ近代史・現代史の連載をお届けします。

Primordial spirit 
- African modern history / present history -

アフリカの文学の子供の絵本の中で、今泉慶一さんの「或る猛獣の運命」にこんな内容がありました。少しだけ内容をご紹介しましょう。

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セネガル生まれのチーターは、足の鍛錬を怠り、しかも年と共に足の衰えが顕著になりました。大好物のトムソンガゼル (カモシカみたいな動物)  を捕らえられなくなり痩せ細って困っていました。

その時突然黒い雲とともに人間の老人が現れ、チーター語で笑いながら言いました。

「わしはお前みたいなやる気のない奴が好きじゃ。死なせるのは惜しい。そこでどうじゃ、わしに頼んでみないか。」
「お前の肉体を改造することは出来る。つまりパワーアップ、筋肉強化じゃ」

自称万物の創造者の年寄りはチーターに、
「若い頃の最高速度200キロで走れるようにしてやろう」と言ったのです。

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年寄りは彼の頭に手をやり、「パワーアップ!」と唱えました。すると彼の四肢はみるみる筋肉が盛り上がって来て見違える身体になったのです。

年寄りは石を、トムソンガゼルに変え追いかけるように言いました。怠け者だったチーターはトムソンガゼルを急に追いかけたため、急に足がもつれて転んで、そのまま絶命してしまいました。

ハッハッハ!わしの思う壺じゃ。

その年寄りは神は神でも死神だったのです。

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この老いたチーターの物語を読んできっと多くの方が、純粋なチーターを騙して死に追いやった男に憎しみを覚えたでしょう。
歴史はいつも純粋な者を騙して掠奪する、狡猾な策略家が天下をとるように見えます。
果たして純粋な精神が負けるのでしょうか...

■アフリカの抱える問題

アフリカは差別と貧困に耐えつつ粘り強く、着実に自由への道を開いています。むしろアフリカは援助ではなく投資すべき国として中国や欧米諸国が注目しているのです。1970年代に多数の国が欧米諸国から独立を果たし、大きく経済成長を遂げメディアの報道するアフリカとは大きく変わりつつあります。

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一方でテロ組織や過激派勢力の影響が根強く、ついこの前もナイジェリアのボコハラムのトップが自爆死し、やっと北アフリカイスラム武装勢力の一つが弱まりつつあります。ナイジェリアはGDPは高いものの石油の利権獲得の盗難や汚職が蔓延し過激派組織の温床になりました。
過激派組織によるテロや掠奪と暴力は現代アフリカにおける根深い問題であり、有名観光地や世界遺産にもかかわらずサヘル地帯は危険地域に指定されているため渡航ができない国々があります。

■世界最悪の現代奴隷大国  モーリタニア

例えばモーリタニアという国は『無給で働く奴隷』が、今だに45000人もいるそうです。(アムネスティインターナショナルの報告書による)
同国は1980年に公式には奴隷制が廃止されました。ただしその後も実態として虐待を伴う奴隷制は続き、無給でなくとも、若干の賃金が与えられているだけとの指摘もあります。
モーリタニアは、全世界の人口の中で奴隷の割合が最も高く人口の20%だそうです。

アフリカの成長は金、ダイヤモンド、石油、鉄鋼、象牙など一次産品に支えられてきたので、「雇用なき成長」であったとも言われています。

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■マスコミが伝えない超激変のアフリカ

然しながらこの数十年でアフリカ諸国が激変したのも事実です。
ほとんどメディアは成長したアフリカの姿を伝えておらず、今でもアフリカに対し貧困と飢餓に苦しむ画一的イメージを拭えません。
本当の事を言うと、歴史と個性豊かな文化を持つアフリカはユニークでとっても面白い国ばかりです。

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<ケニア独立以来最大のインフラ開発プロジェクト>
例えばモンバサ・ナイロビ鉄道ですが港湾都市モンバサから首都ナイロビを経て、マラバを結ぶ840km。

建設資金の9割を中国が出資し、わずか3年半の工事で完成し中国の一帯一路政策の一つと言われています。
インド洋に面したケニアは、まさに東アフリカの貿易と経済の中心であり、その中でもモンバサは東アフリカ最大の貿易港で物流の拠点です。

このケニアを中心鉄道網が完成することで東アフリカは劇的に旅行しやすくなると言われています。バックパッカーの旅行好きには朗報ですね!

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■進化した先端技術

近年のアフリカでは、『リープ・フロッグ現象』といい、電気や水の通らないところでスマホ利用の急増に伴うスマホ決済が増えているそうです。
本来なら水道、電気のインフラ整備が先なのですが、スマホの急速な普及で、固定電話やインフラ整備を後押しししている状況だそうです。固定回線の整備を国の隅々に敷くより、スマホをつなぐ設備を作る方が低コストなのです。

サバンナでもスマホ!

このリープ・フロッグ現象によりケニア成人男性の納税率まで上がり、先端技術を使い段階的発展ではなく、一足飛びに発展しました。他にもアフリカ諸国では、Uberやドローンによる移送、大規模ショッピングモールが現れるなど新しい発展の姿が見られます。

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■国立公園(ナショナルパーク)自然保護区

アフリカは広大な国立公園、自然保護区が多数あります。

有名なところですと、
セレンゲティ国立公園、マサイマラ国立公園、アンボセリ国立公園、ナクル湖国立公園、ンゴロンゴロン自然保護区、エトーシャ国立公園、チョベ国立公園などなど。

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例えばタンザニアのセレンゲティ国立公園の広さは東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)を合わせた1万3404km2よりも広い、1万4763km2  ですから、その広さが想像できるでしょう。マサイ語で「果てしなく広い」 という名の通りで、草を求めて毎年数百キロにも及ぶヌーの大移動で有名です。

アフリカの国々の歴史を見ておりますと、もしかしたら自分と縁があるような国があるかもしれません。それでは早速アフリカ独立運動から近代現代の歴史をみていきましょう。来月第一回目は『アンゴラ』です。

現代アフリカを「絶望のアフリカではなく、希望のアフリカ」と伝える人がいましたがまさにその通りです。そこには暗黒の時代と、光り輝きだしたアフリカの両面があると思います。

#アフリカ資源大国 
#アフリカ経済 
#部族対立  
#独立運動  
#フェアトレード  
#アフリカ学校教育 
#資源レント 
#資源の呪い 

---------   この論文を書くにあたり、見えない世界より
多くのインスピレーションを
頂きましたことに深く感謝します