2024年6月 9日

砂漠アート

皆さまこんにちは。
「原初の精神」は次回の準備中のため、その間他の企画を書かせていただきます。

今日は久しぶりに都内、代々木上原周辺を散歩に行きました。

・東京ジャーミィ イスラムモスク トルコ文化センター
2階のオープンカフェ
・下北沢周辺の雑貨店

どちらも、なんとも言えない癒しの空間でした。
東京ジャーミィ2階オープンカフェは、トルコ料理ランチや、コーヒーなどドリンクがあり、一般の人も利用できます。

トルコ料理
カッパドキア写真集
トルコ旅行ガイドブック
アラビア書道本
エーゲ海紀行
 
などなど自由に本を読むことが出来ます。

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たっぷりサイズのアイスコーヒー(200円)を飲みながら、いろいろ読んでいましたら、オスマントルコ帝国の秘宝の写真がありました。

トプカプのエメラルド入り短剣
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この巨大なエメラルドが付いた宝剣は、
一番上のフタを取ると、ナント!時計が付いています。

これは今、トプカプ宮殿博物館の至宝となっています。
当時のスルタンは、ライバルのイランの王との戦争を避けるために、この宝剣を贈ったそうです。こうした政治は

『豪奢を持って威服しうれば、戦うより安くつく』

というイスラム世界の帝国学に基づくものであるそうです。相手の機嫌を損ねるより、宝物を与えて喜ばせて戦争をさけ、お互いの損害を回避したのでした。

宝石が散りばめられ、しかも時計付きなんて、ゴージャスなデザインですね。

一階のフロアには美味しいデーツが復活していました!

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こちらは何年前の本でしょうか。アラビア語で書かれた巨大な本で珍しいです。

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これからの時代は砂漠アート

その後、上原から東北沢、下北沢を歩きましたら、素敵なショッピングエリアがありました!!

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この建物の中にあるお香ショップは、お店に入るとオリエンタルなふわーっとした良い香りがします。

しかも、内装が砂のようなライトブラウン調で、こざっぱりした砂漠の世界です。

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瓶を開けて香りをかぐと、エキゾチックな香りを試すことが出来、思わず香りの世界にはまってしまいました。
間違いなく、ワンランク上の香りでした。

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このような広い砂漠のような空間や落ち着いた内装は、ますます流行るのではないでしょうか?

特にここ数年は、アフリカ、イスラム文化がブームで日本人も今まで以上にあちらの国を旅行されています。今まで馴染みの無かったアフリカやイスラム地域でしたが、砂漠の雰囲気は、これからますます日本人に身近なものと感じられるでしょう。

また都内を散歩して、気になる砂漠アートがあったらご紹介させて頂きます。
皆さんも素敵な砂漠アートがもしありましたら、教えて下さったら嬉しいです。


2024年5月 5日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[5]総論 カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


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原初の精神  -アフリカ史- リビア[5]総論
カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

Primordial Spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [5] Gaddafi, proud of being a nomad


カッザーフィーの麗しいボディガード。
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彼は生前に行った改革はまだまだあります。

■囚人に恩赦も

1988年3月3日にカッザーフィーはトリポリにある刑務所の壁を自らブルドーザーを運転して破壊して囚人400人を恩赦により解放するパフォーマンスを行ったり。こうしたパフォーマンスで国民からますます支持を得ていました。

■アフリカディナール金貨

カッザーフィーはまたリビアの石油支払いをドルから、アフリカディナール金貨に変えようとしていた。
カッザーフィーは、ゴールド・ディナールの導入を計画していた-「それは、金から作られるアフリカの単一通貨で、富の真の共有である。」
リビアの保有する144トンの金が、この通貨の原資として意味を持つはずだった。その構想は、アフリカとイスラム国家が共同でこの新しい通貨を創造し、
ドルや他の通貨に替えて、石油や他の資源の貿易に使用するというものだった。今やそこ構想は盟友ロシアのプーチンが引き継いだといえる。

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■パフォーマンスたっぷり

2009年11月、国連サミットにおいて発展途上国の貧困へのアピールとして総長以下、各国国家代表も参加した「断食」のパフォーマンスを尻目に、500人のイタリア美女を集めたパーティを催し、その健在ぶりを誇示した。

■旧政権時代(カッザーフィー時代)の食糧補助金制度

カッザーフィー政権は、国内の低所得者や貧困層に対して食糧補助金を提供していました。これは、基本的な食品や生活必需品の購入を支援するためのものでした。


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数限りない善政を施したカダフィ大佐は天国で、リビアとアフリカの発展、人類の未来を見守ってくださっていることででしょう。「(総論) 大リビアとは何だったのか?」という総論はまたいずれかの機会に取り上げさせていただきます。ありがとうございました。

次回は、原初の精神はブルキナファソ「トーマス・サンカラ」です。


2024年4月 4日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[4]カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


flag.jpgのサムネール画像原初の精神  -アフリカ史- リビア[4] 
カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

Primordial Spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [4] Gaddafi, proud of being a nomad

カッザーフィーが政権を取ってからのリビアの社会福祉政策は驚くべきものがあります。
国民のすべての不幸が解消されているかのような、大変ありがたい政治であります。



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<社会福祉政策> 

1.電気代全国民無料 
2.融資には金利がなく、リビアの銀行は国営で、全国民に対して与えられる融資は、法律で金利ゼロ・パーセント。 
3.リビアでは住宅を所有することが人権と見なされている。 
4.リビアでは全ての新婚夫婦が、新家族の門出を支援するため、最初のアパート購入用に、政府から60,000ディナール(50,000ドル)を受け取る。
  →結婚した夫婦には約500万円を支給
5.リビアでは教育と医療は無償。カダフィ以前、識字率はわずか25パーセントだった。現在、識字率は83パーセント。 
6.リビア人が農業の仕事につきたい場合には、農園を始めるための、農地、家、器具、種、家畜が、全て無料で与えられる。 
7.リビア人が必要な教育あるいは医療施設を見いだせない場合、政府が外国に行くための資金を支払い、さらには実費のみならず、住宅費と自動車の経費として2,300ドル/月、支払われる。 
8.リビア人が自動車を購入すると政府が価格の50パーセントの補助金を出す。 
9.リビアの石油価格は、リッターあたり、0.14ドル。 
10.リビアに対外債務は無く、資産は1500億ドルにのぼるが、現在世界的に凍結されている。 
11.リビア人が、卒業後就職できない場合は、本人が雇用されているかのごとく、特定職業の平均給与を、職が見つかるまで国が支払う。 
12.リビア石油のあらゆる売上の一部がリビア全国民の銀行口座に直接振り込まれていた。 
13.子供を生んだ母親は、5,000ドル支払われる。 
   →子供を産むと母親に約50万円支給。
14.リビアでは、パン40斤が0.15ドル。 (10円程度)
15.リビア人の25パーセントが大学の学位を持っている。 
16.カダフィは、この砂漠国家のどこででも自由に水が得られるようにするため、大人工河川計画として知られる世界最大の灌漑プロジェクトを遂行した。
17.ガソリン代は1リットル約10円
18.医療費無料
19.男女平等差別禁止
20.リビアでは「家を持つことが人権」とさている。


まさしく天国リビアです。この政策のどこが暴君なのでしょうか?

このような政策ができる理由は、石油の売り上げの一部を国民に還元しているからです。リビアは石油の埋蔵量はアフリカ最大であり、
それでいて人口が少ないので、一人当たりのGDPはアフリカの上位クラスだったそうです。
「資源の呪い」と言われて外国に資源を吸い取られるだけで国民に何も還元しない他のアフリカ諸国とは大違いです。
しかもこうしたリビアの大改革をIMFや世銀などの国際的サラ金機関からは金を一切借りず経済成長を成し遂げているのです。


■「石油は産油会社のものでなく、産油国のものである」

・騙されていたリビア

王政時代から、リビアの原油は「ワックス(蝋分)が含まれているから」として、1バーレルあたり5セントの値引きをしたり、リビアのコフラ地区灌漑事業を進める条件に、5%を税金で払うというリビア国王に押し付けていました。そうした不当な方法でリビアを騙していたのが、「メジャー」と呼ばれる欧米の大手石油会社(モービル、エッソ、テキサソ、オキシデンタル石油など)である。
リビア原油は、硫黄分の少ない世界有数の良質油とされているが、メジャーはこの点については一切無視していたようです。

リビア革命後に、カッザーフィーの革命政権は「ワックス分の値引き解除」「低硫黄分の加算」など5項目を要求し、リビア原油価格の値上げを要求します。
世にいう「石油戦争」の始まりです。

石油戦争カダフィのいう「新しい論理」、つまり「石油は産油会社のものでなく、産油国のものである」という論理は、国連第二十五回総会で「天然資源に対する主権は国家の領土主権の一部である」という決議を導きだしました。そして4月2日、メジャーはリビア政府の要求を飲んで、石油値上げに同意したのでした。

リビア革命政権が世界史のうえでも注目される理由は、実にこの点にある。リビアの革命的論理"に基づく石油値上げ交渉の勝利は、世界の石油の流れを、メジャー主導型から産油国主導型に変えたのである。

石油戦争の結果、リビアの原油価格は2倍になりました。このリビアの勝利が産油国を勇気づけ、脱メジャー支配の先駆けとなったのでした。
「12.リビア石油のあらゆる売上の一部がリビア全国民の銀行口座に直接振り込まれていた。」
先のカッザーフィーの政策の一つである12番は、こうした石油戦争によりもたらされたといえます。

ダイヤモンドが大量に採れても、アフリカの人は貧困のどん底から解放されない搾取の仕組みは、ダイヤモンドの利益が国民に還元されず外国資本企業の懐に入るからです。カッザーフィーは他のアラブ石油産出国や中国共産党と異なり、石油で得た利益を国民に分配していたのでした。


■独裁者ではなく、民主主義者

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それに独裁といってもその国家運営は次のように、国民が直接参画できる民主的ものだったのです。

欧米マスコミが"カダフィの軍事独裁制"と表現するリビアは、実際は世界で最も民主的な国家でした。
カダフィの独特な直接民主主義の下で、伝統的な政府機構は解散され、廃絶され、権力は様々な委員会や議会を通して、直接国民のものだった。
リビアは非常に分権的であり"ミニ自治州"が存在し、各自の地域支配し、石油収入や予算資金をいかに配分するかを含め、様々な決定をすることができたそうです。
(リビア民主主義の三つの主要な組織は、基礎人民会議と、県地区人民会議と、全国人民会議である)


■「ジャマーヒーリーヤ」について

引用<アフリカ日本協議会 -Africa Japan Forum->(http://www.arsvi.com/i/2lby201106.htm)HPより

「やがてカッザーフィーは極めて特異な政治思想を掲げるようになる。
彼は著書『緑の書』の中で、代議制民主主義、政党政治、階級独裁のすべてを特定の「代表」や集団による独裁であるとして否定、多数決原理すらも「少数者に対する独裁の強要」としてしりぞけた。そして最底辺の基礎人民会議から全国人民会議に至る人民会議を組織し、全人民が基礎人民会議に参加して合議・合意により政治的意思決定を行う「人民直接民主制」によってのみ、真の民主主義が実現されると主張したのである

人民会議の設立は1977年の「人民権力確立宣言」以降本格化され、国名も「社会主義人民リビア・アラブ・ジャマーヒーリーヤ」に改称された。「ジャマーヒーリーヤ」とは「大衆の共同体」を意味するカッザーフィーの造語である。1979年にはカッザーフィーがすべての公職を辞任、リビアは彼の観念によれば、「国家元首も首相、政府も存在しない」世界でただ一つ真の民主主義が実現された理想社会となったのである。」

http://www.arsvi.com/i/2lby201106.htm


■カッザーフィーが亡くなる(2011年リビア内戦)

隣国チュニジアのジャスミン革命の影響を受け、2011年2月、カッザーフィーの退陣を求める欧州の影響を受けた大規模な反政府デモが発生する。
国民に対し徹底抗戦を呼びかけたが欧米を中心とした軍事介入と反カッザーフィー派の蜂起を招き2011年8月24日までにカッザーフィーは自身の居住区から撤退する。反政府勢力により首都全土が制圧され政権は事実上崩壊します。

10月20日午前8時国民評議会がカダフィ勢力最後の拠点となったスルトに攻撃を開始。戦闘は約1時間半で終了し制圧される。その際2か月間スルトに潜伏していたカダフィ大佐は南アフリカ人などで構成された護衛が乗った数十台の車列を組み逃亡を試みますが、フランス空軍とアメリカ空軍の空爆を受けます。車列を離れたが反カダフィ勢力により身柄を拘束。その後暴行された怪我が元で亡くなったそうです。

2024年4月 1日

仙台出張とゴージャス美術館ホテル


仙台出張とゴージャス美術館ホテル

仕事で東北の仙台に出張があり、3月は平日はほぼ仙台に滞在しました。

この1か月いろいろな気づきがあり、とても面白かったので、皆さんにもご報告したいと思います。

(気楽にお付き合いください~)


◆仙台ってホントに便利な街

東京から東北新幹線で2時間。

郡山、福島、白石蔵王を経て仙台に着く。

仙台の青葉通りは晴れていると街が明るく、景色がとても綺麗でした。

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しかしながら、3月の仙台はとても寒く、よく雪が降り道路は真っ白になる。

私は生まれが東京、育ちが岩手県盛岡市だが、久ぶりの東北のピリッとした寒さに、思わず懐かしい気持ちがこみ上げる。

東北のかじかむ寒さは、幼い頃よく体験したものだ。

それにしても雪がよく降る。3月末に大雪となり足元が滑って歩くのが大変。

仙台名物は牛タンだが、私も3回食べました。名物だけあってとても美味しい。

これが好きになった牛タン広告 ↓

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青葉城城跡に早朝散歩し、伊達政宗像にご挨拶ができた。
幼名梵天丸といい、片目の将軍だったなんてかっこいいですね。

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何日か滞在して、思ったことは、
「必要なものがすぐ手に入る」
「街並みや区画が碁盤の目で、地理が分かりやすい」

街の中心にはサブナードがあり、大抵のものはこの通りで買える。
効率が良いというか、いろいろと便利な街だ。

仙台七夕祭りで使う神輿だろうか??
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◆メンタルとフィジカルのバランス、中和作用

ホテルの朝食では、時折朝食ビュッフェで栄養をシッカリ取ることができた。
しかも地獄のような自宅の自分の部屋の寒さと真逆で、暑すぎるホテルの部屋。
まじめにエアコンが暑すぎて、暑すぎて死んでしまう。

ちゃんと栄養をとった日々(笑)
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いつもの粗食と逆のような暮らしでしたから、メンタルのバランスが取れたように思う。
千葉に帰ったら、冷たい風しか出ないエアコンを、早く買い替えよう。。

時々いつもの生活と逆のパターンを味わうことは、中和作用が起きるので、とても大事だ。


◆塩素除去の気付き

こちらに滞在して、いつもヒビと赤ぎれでぱっくり割れた指先が、それほど荒れないことが分かった。

びっくりして「何故だろうか」、と考えてみたら、どうも水道の塩素らしい。

ホテルの水って、塩素除去がされているのか肌に優しい軟水のような気がする。

そりゃ、いろいろなお客様がいるのだから、綺麗なろ過した水を使うだろう。

活性炭 備長炭って塩素除去によいらしい。仙台のつけ麺屋さんでも、備長炭入りの水を飲めるようにしていました。

早速、自宅の水道水のシャワーヘッドと、備長炭入りの蛇口に付ける整水器フィルターを買いました。

軟膏で治らない赤切れやヒビが、塩素の影響があるなんて。。。

普段の生活と正反対の暮らしをするからこそ、様々な気づきがあり、メンタルとフィジカルのバランスをとることができたのだ。

それにしても雪がよく降る。仙台は東京に比べてほんとに寒い。


◆驚愕の情報 マサイ族の視力は8.0

ホテルでアフリカケニアを旅行した人のyoutube 動画を見ました。
この人はケニアのナイロビを、怖がりながら旅行し、サファリではライオンに会いたがっていました。
ホテルからほんの数十メートル離れた所の移動も、タクシーを使うのだから相当怖がりというか、
慎重というか。

内心、「男でこのぐらい怖がりならどこにも行けないのではないか」、と思いましたが、この人も自分の正反対の側面を持つ人なので、大変学びになりました。
アフリカでは、移動は車だよね。。

因みに、サファリのガイドのマサイ族の視力は、8.0だそうです。
はるか遠くの動物の姿が見えるそう。
8.0なんて羨ましい限りです。

「よーし、反省し、スマホは見ないっ」

あと出張中、ロシアのプーチン大統領が、無事再選されて、とっても嬉しかったです!!


◆ウィンドウショッピング、ぼーっと過ごす

みぞれのような雪が舞う中、アーケード街や駅周辺を
ウィンドウショッピング。
まあまあかな、、、
寒くて何も出来ないし、行動力が鈍る。

嗚呼(ああ)、
お昼はスタ丼になってしまった、、、

寒さとみぞれの中、濡れながらうずくまる鳩たち。

なんで屋根のある所に行かないの!?

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思わずパン🍞を2袋買って、撒きまくった。
そしたら大量の鳩が来るわ来るわ、50羽くらい集まったかな。
パンの奪い合いで、鳩たちはもみくちゃになり、大変なことになった。


東京に帰る日、この辺に再度来たら、鳩たちはのんびり日向ぼっこしていました。


◆まるで美術館、ゴージャスホテル

なんとなくボーっとした仙台滞在のようですが、最後に泊まったホテルが衝撃的でした。

まるで美術館!?
ロココ様式家具が沢山

こちらの宮殿ホテルは
別名、「東北の美術館ホテル」といって、創業89年だそうです。

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秋篠宮ご夫妻や中国の江沢民前国家主席や、皇室の方や著名人が泊まりに来ているらしい。
しかも結婚式会場や宴会場が幾つもあり超ゴージャス。

骨董品や絵画、人形などはまるで皇帝のコレクション。
ギリシャ、ヨーロッパ、ローマ、中国、インド、世界中のお宝をが飾ってある。

一階ロビーは、トナカイやシマウマなど動物の剥製が飾ってあり怖かった。

ギリシャやローマ兵士や女神像が何十体も。。。
さすがにロビーは残酷で、趣味が悪いんじゃないの?

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夜中にこのロビーを歩いたら、いきなり銅像の目が光ったり、ポルターガイストが起きたりして、めっちゃ怖いだろうな。。。

まあ、2階の大広間にあるロココ調高級ソファや絵画がふんたんにあり、特にシャンデリアは美しい。美術館に来たみたいで、さすが歴史のあるグランドホテルだ。

しかも大宴会場がいくつもあり、西洋の絵画や骨董品も沢山飾っていました。こちらのホテルのオーナーは相当金持ちなのでしょう。

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その割には、サービス価格で素泊まり一泊6300円ー8000円くらいでした。

それから、部屋の目覚まし時計から電気ケトル、シャワー、ソファまで何もかも昭和の時代?テイスト。レトロな雰囲気の写真を撮れなかったのが残念です。

絨毯も古い、でも味わいがある。

いろんな家具類が、落ち着いたレトロ風で、アンティーク調でした。

アンティークが好きな人は満足できるはず!さすが創業89年ですね。


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◆高級で古いものを長く使うことも大事

何十年も、同じ絨毯や椅子や、調度品を大事に使い、使えば使う程味わいが出てくる暮らしも良いかもしれませんね❣️

最上階の中華飯店は諦めたけど、久しぶりに面白いホテルを楽しんでしまいました!

楽しい思い出、本当にありがとうございました。


2024年3月12日

原初の精神 予告編

原初の精神 予告編
Primordial Spirit - Modern and contemporary African history - Advance Notice

今月は東北の仙台に滞在中のため「原初の精神」を更新できず、予告編とさせていただきます。
(申し訳ございません。。)

原初の精神は、リビアのカダフィ大佐はあと2回、その後も帝国主義を打倒しアフリカ諸国の独立に貢献した、活動家や政治家の生涯を特集します。

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【今後の予定】

カダフィ大佐  (リビア) ※あと2回
トーマス・サンカラ (ブルキナファソ)
エンクルマ (ガーナ)
ハイレ・セラシエ皇帝  (エチオピア)
ネルソン・マンデラ (南アフリカ)
マーチン・ルーサーキング牧師 (アメリカ) 
イスラム神秘主義、スーフィズムについて
名著に学ぶ (スワミ・リヴェーカナンダ師など)
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Qadhafi, Muammar Mohammed Abu Minyar
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Francis Kwame Nkrumah
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Thomas Isidore Noël Sankara
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Haile Selassie
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Nelson Rolihlahla Mandela
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Martin Luther King Jr.
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時折、ヨーガの名著に学ぶを復活させつつ
このようなテーマで流れていく予定です。

アフリカの独立に貢献された偉人の方々は心より敬意を感じる方ばかりです。
エンクルマ大統領なんて、頭がよくて超エリート。
ハイレ・セラシエ皇帝なんて写真を見ただけでお優しそうな方で世界中にファンがいるのではないでしょうか。エチオピア帝国がすさまじく強かったのは彼の力です。

様々な国と民族、文化、宗教が混在し、魅力溢れるアフリカに、皆さまがご関心を持つきっかけになれれば幸いです。

2024年2月 1日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[3]カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


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カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

Primordial Spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [3] Gaddafi, proud of being a nomad

■大佐のリラクゼーション中に空爆が

リビア爆撃(リビアばくげき)は、1986年4月15日にアメリカ空軍及び海軍によって行われたリビアに対する空襲を指す。リビア最高指導者のムアンマル・アル=カッザーフィーの暗殺を目的とした攻撃であった。
作戦自体は成功したものの、カッザーフィーの暗殺に失敗した上、アメリカは国際的非難を浴びることとなった。また、リビア政府はこの報復として1988年12月にパンアメリカン航空103便爆破事件を起こしている。
民間人15名とカッザーフィーの1歳3ヶ月の養女ハナが死亡したとリビアは発表し大規模な追悼が行われた。

カッザーフィーは幸い休止に一生を得たが、実はこの時偶然にも地下壕で腰痛治療のために横になり、リラクゼーション中だったそうだ。これは明らかにカッザーフィーの暗殺を目論んだ攻撃であったが、彼の居所と考えられる地下壕にも、ベドウィンテントには、かすりもしなかったのである。
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先のリビア爆撃で生後一五ヶ月になる養女を亡くしたカッザーフィーの報復か?88年の米パンナム機爆破事件が発生。
リビア政府の関与の下で実行されたテロ事件として国際問題となり、被害を受けたパンアメリカン航空(パンナム)がその後に経営破綻する遠因にもなった。

1988年の死者270人を出したパンナム機爆破事件はリビアの諜報機関員が仕掛けたテロであるとされるが、カッザーフィーは容疑者の引渡しを拒否したため、米政府は79~06年、リビアをテロ支援国に指定。国連安保理は制裁を科していた(1969年09月27日)

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遺跡 レプティスマグナ

■カッザーフィーのアラブ風の素敵な邸宅

カッザーフィーの邸宅は外部のものものしい警護状態とは打って変わって、内部には二面のテニスコート、サッカー場、庭園に芝生も整備されていて、快適な居住空間になっていた。 サフィーヤ夫人を始めカッザーフィーの家族は、高級な家具が備わった二階建ての大きな邸宅に住んでいた。この邸宅の近くにカッザーフィーは大テントを張って遊牧民の伝統的な暮らしを再現させ、公賓の接遇の際に使っていた。 

テントの外側は当時のリビアを象徴する緑一色に塗られていたが、内側はアラブ式に色とりどりのキルトで飾られていた。そこにはカッザーフィーの著書『緑の書』から抜粋された言葉が刺繍されていたといわれる。

国民を幸せにした為政者だからこそ、彼の住まいがいかにアラブ風の豪華な家だからといって、誰も嫉妬しないでしょう。カダフィファンの私としては、ぜひ当時の彼の生活を再現し、拝見してみたい気持ちとなりますが。。。


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■大量核兵器撤廃宣言

国連制裁解除とリビアの対外イメージを上げるために、カッザーフィーは2003年末には「大量核兵器撤廃」を宣言し査察団の受け入れを行った。
おそらくイラク戦争の後、ジョージ・W・ブッシュ政権率いるアメリカなど西側諸国によって新たな攻撃対象にされるのを恐れていたとも言われる

アメリカなどはこれらの対応を評価しそれまで行っていた経済制裁などを解除し、テロ国家指定から外す措置を取った。
そして2006年5月15日にリビアとアメリカの国交正常化が発表された。
「大量核兵器撤廃」を宣言により、一石三鳥ともいえる大きな外交的成限が二〇数年ぶりに解除果をあげることになった。
二〇〇四年二月にはアメリカ市民のリビア渡航制限され、ついで四月にはイラン・リビア制裁法が解除される(イランだけは制裁が残り、イラン制裁法となった)など、各種の制裁が一気に解除緩和に向かったのである。


2024年1月 1日

今年はとってもクリエイティブ!トルコティーに夢が広がる ~トルコ料理銀座『イスタンブール』~

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新年あけましておめでとうございます。

昨年はアフリカのキリマンジャロ登山に行き、アフリカの大地や風土、自然というものを見ることができました。応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。

帝国主義の時代を崩壊した、アフリカの先人達の歴史を垣間見ることができ、無事渡航ができて本当に良かったと思います。

ここ数年アフリカの歴史やイスラム教の世界を紹介しつつ、「純粋な精神」というものは何だろう。。と自分に問いかけつつ記事を集めておりました。

世界を陰で牛耳っている権力者がいかに強大であっても、暴力で支配することをしても、真実の心を支配することはできないと思います。

彼らが、大きな声で罵倒し、嘲笑し、金や力で脅かして支配欲丸出しで迫ってきたとしても、そうした
低い次元に巻き込まれず、同じ土俵にならないよう、静かな時間を確保して、瞑想することが大切だと思います。 あのガンジーのように。。。

今年も、明確な目標を立てて、前向きに努力をしたいです。

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トルコのチューリップ柄のカラフルな絵皿

実は一年前よりも、いろいろな自己実現を果たし、願っていることが形になったような気がします。
なぜ形になったかというと、人生観が前向きになり、無駄なことに捕われなくなってきたからだと思います。

ひとえに、辛抱強く、瞑想をご指導して下さった私の先生方のお陰です。


何も無いのに、なぜか幸せ
何も無いのに、なぜかワクワクする
何も無いのに、とってもクリエイティブ!

年末年始にかけて、今年の目標や将来のビジョンを様々描きました。

客観的に見れば、今の自分は何も無い「無」の状態に近いのに、心がとってもクリエイティブでワクワクしている。

なぜこんな創造的な幸せな気持ちになるのでしょう!?

まるでいつも真っ白いキャンバスを見ているようです。
部屋が「サントリーニハウス」、即ち真っ白けの内装の部屋になったことも影響しているかもしれないです。(笑)

こんな清々しい気持ちを味わったのは何年ぶりでしょうか!

いろいろなシガラミがあって苦しい方は、綺麗さっぱり断捨離し、無駄な思想を捨て去り瞑想中心にする、あと生活空間を真っ白なキャンバスにして前向きに生きること、自分なりに創意工夫して、生活空間をアレンジしてみることを、強くお勧めします。


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こんな老舗の店が銀座コリドーにあるなんて


さて今年、お正月にご紹介したいレストランは、
トルコ料理の銀座の老舗「イスタンブール」

バクラヴァがシロップが浸っていて大変美味しかったですよー。
バクラヴァを作るときに沢山シロップをかけて作りますよね。
食べてみると意外にくせがなくて◎

ちなみに「世界5大健康食品」とは何かご存じでしょうか。答えは、
・ヨーグルト
・オリーブオイル
・レンズ豆
・大豆
・キムチ

しばらく海外にも金銭的に旅行が難しいときは、食材を集めて、
珍しいアラビアスイーツや、地中海料理を家で作ってみて楽しむのもいいかもしれないですよね。

オリーブオイル、ハーブ、ヨーグルト、レンズ豆、クルミやピスタチオ、ワインビネガーを使って。

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ビデオも作成しましたので、ぜひご覧くださいね♪

☆家で作ってみたいくらい美味しいトルコ料理

☆中東やアラビアの雑貨の販売もしています
ミルキーウェイパワーストーン
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メインディッシュが、カジキマグロのクリーム煮


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トルコティー 夢が広がる


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ソファーやランプもチューリップ

世界三大料理に属するトルコ料理とても美味しかったですよ。
ありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げますmm
























2023年12月 2日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[2]カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


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原初の精神  -アフリカ史- リビア[2]
カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

primordial spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [2] Gaddafi, proud of being a nomad

前回はリビアという国がオスマン帝国と、イタリア(ナチスドイツ)に蹂躙されてきた戦火の絶えない国でした。そうした戦乱の歴史を背景として、カダフィことカッザーフィーは大きな改革者として生まれました。
この緑の無地の旗は、彼の作った大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国 の国旗です。


リビアの改革を成功させた英雄であるにも関わらず、地位や名誉にもこだわらず自らを生涯「大佐」と名乗り、民族衣装をまとい、また遊牧民の生活にこだわり、訪問先の外国でもテントを張って野営していたそうです。そうしたユニークな庶民性や人間味が多分にある人でした。

テント生活が好きなんてよほどアラブ民族を誇りとして、伝統を大切にしていた方だったのでしょう。

この記事を書くに当たりまして参考とした良書がこちらです。文章も綺麗で読みやすいです。
クーデター時の状況も克明に描かれているよう思います。随分熱血漢な顔をされていますね。

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中を開くと直筆のサインが!!
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■概要: カッザーフィーはどんな人だったのか

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ムアンマル・アル=カッザーフィー(アラビア語: معمر أبو منيار القذافي‎, muʿammar ʾabū minyār al-qaḏḏāfī, 1942年6月7日 - 2011年10月20日)は、リビアの軍人・革命家・政治家で、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(社会主義人民リビア・アラブ国)の元首。

中部リビアの砂漠の遊牧民ベドウィンの子として生まれ、士官学校に入学、ナセルのエジプト革命の影響を受け、自由将校団を結成して革命運動を指導する。
1969年9月、リビア革命と言われる「無血」クーデターによって王制を倒して27歳で権力を掌握し軍事政権をつくった。

政権を獲得後、2011年に至るまで42年にわたり長期独裁政権を維持したが、2011年リビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カッザーフィー派部隊によって殺害された。

その豊かな石油収入を背景とした強硬な外交政策と、舌鋒鋭く欧米や国連を批判する姿から、危険な独裁者と見なされ「中東の狂犬」とよばれ警戒されていた。

民族衣装をまとい、遊牧民テントを好み、外遊時は遊牧民テントを持参して野営するなど、ユニークな存在として広く知られた。

その著書『緑の書』3巻(1976~79)では、資本主義でも社会主義でもないという意味での第三の普遍理論を目ざしています。

日本では一般にカダフィ大佐という呼称で知られている。1993年から2009年まで1リビア・ディナール紙幣や50ディナール紙幣に肖像が使用されていた。

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◆称号:大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の最高指導者及び革命指導者
الشقيق القائد ومرشد الثورة

リビアのモスク

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■カッザーフィーの生い立ち

カッザーフィーは1,942年春にスルトの南方40キロメートルの砂漠の中に遊牧民のテントで生まれました。彼はアラブ化したベルベル人の貧しい遊牧民のカダファ族に生まれたと言われています。
カッザーフィーの父はラクダやヤギ、ヒツジを放牧し、時折それを地中海沿岸の町やフェッザーン地方の内陸都市の市場に売ることで、生計を立てていたそうです。

遊牧民の子供は差別されることも多かったようですが、カッザーフィーは勉学に優秀で尊敬されていました。

両親は遊牧民の大半がそうであるように、読み書きができなかったのですが、子供たちに伝統的な昔話や英雄物語を話して聞かせることも多かったそうです。

リビアの近代史は、オスマントルコ帝国やイタリアによって蹂躙されてきた歴史でした。

そのためこのような部族の歴史を受け継いだカッザーフィーは、早くから政治活動に目覚めていたのでした。
彼は週に一回巡回してコーランを教える教師から、イスラムの教えを学んでおり、彼らからリビアの英雄について学んでいたのでしょう。

カッザーフィーは若いころか政治に興味を示すとともに、士官学校に入学するとらエジプトのナセルに倣って、地下組織、自由将校団を結成し、停滞したサヌーシー朝王家打倒を計画します。
その頃から自分の右腕になるような人物を慎重に選んでいたのでした。

■無血クーデターのリビア革命

士官学校では4か月のイギリス留学があり、陸軍隊長になる訓練が施されました。この時期、イギリスでは中東やアフリカ労働者がごみ収集や道路の清掃など、卑しい職業をさせられていることに、大きな影響を受けました。
彼は執拗な人種差別をうけ、それがのちに、リビア革命を引き起こす引き金になったといえるようです。

この時期リビアはサヌーシー王朝のイドリース国王の元でひどく疲弊していました。

1969年にムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)が、イドリース1世 (リビア王)を無血クーデターで廃位し、実権を握った「リビア革命」が起きます。

1969年9月1日、カッザーフィーは同志の将校たちと共に首都トリポリでクーデターを起こし、政権を掌握した。病気療養のためにトルコに滞在中であった国王イドリース1世は、廃位されて王政は崩壊、カッザーフィー率いる新政権は共和政を宣言して国号を「リビア・アラブ共和国」とした。

同年11月に公布された暫定憲法により、カッザーフィーを議長とする革命指導評議会、(日本のメディアは終始一貫して「革命評議会」と呼称していた) が共和国の最高政治機関となることが宣言されました。

1976年には毛沢東語録に倣い、自身の思想をまとめた『緑の書』という題名の本を出版した。(毛沢東の統治を倣っていたとは少し残念ですが)


<コーランに依拠した『緑の書』>

第三国際理論(Third International Theory)もしくは 第三普遍理論(Third Universal Theory)とは、リビアで実施される政体についての理論で、カッザーフィーが1970年代初頭に提唱したものである。部分的にイスラム社会主義とアラブ民族主義に影響されたこの理論は、資本主義をもはや誤りであることが証明されたイデオロギーであると述べ、第三世界諸国のために、資本主義および共産主義の代替となる新たな普遍的体制を提案している。また第三国際理論の哲学的基礎の多くはコーランに依拠している。

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<大リビア設立>

そして1977年、カッザーフィーは人民主権確立宣言を行い、「ジャマーヒリーヤ」を正式に国家の指導理念として導入した。これにより、国号も「社会主義リビア・アラブ・ジャマーヒリーヤ国」(1986年に「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」と改称)に改められた。



2023年11月 4日

『シルクロードバザール』 in 上野宋雲院 (11/4)


『シルクロードバザール』 in 上野宋雲院

シルクロードの国が楽しくなる
爆買いしたくなる中央アジアの雑貨☆彡

今月は、『原初の精神 リビア第二回』をお休みし、上野のシルクロードバザール(11/4)のご報告をさせて頂きます。

・ウズベキスタンのカラフルな小皿
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・人参とナッツのカップケーキ🧁
どちらも300円これだけでお腹いっぱい‼️
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晴天の中、上野の宋雲院で、とっても素敵なシルクロードバザールが開催されました。
最近はイスラム教や中東、アジアやアフリカがブームで世の中の関心がますます高まっていますよね。

宋雲院に到着して「あれ、普通のお寺だけど、、」と思っていたのですが、奥の方に行くと、中東の絨毯や雑貨、本が並び、ウイグルのお菓子やチャイが販売されていて、なかなか凝ったイベントでした。

・これはクウェートのバック
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ウイグル民族衣装を試着させていただきました。
うわー!派手ですけど絨毯の上で写真撮れて感激しました。

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お寺の境内にはタルチョが何本もかかり、会場はウイグル文化たっぷり。
因みにこちらは、虚空蔵菩薩が本尊みたいです。
一年に一回なんて寂しいですが、今日は来れて良かったです。

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いろいろなお店を見て、シルクロードのおしゃれ雑貨に思わずうっとり💖💖💖何もかも素敵で、欲望を抑えないと、爆買いの日になりそうでした。

・たしかクウェートのアラビア文字のカップ
何もかも素敵
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・とってもいい香りのするウイグルのブレンド茶
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ウイグルの食卓に並ぶレーズン。風情がありますね。
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具体的に良かったこと👍👍👍

・シルクロードの国の数が豊富
・民族衣装が着れた
・大手スピリチュアル企業が仕切っていない。
 どちらかと言うと、
 小規模のお店で個性溢れている
・シルクロードスイーツあり

モスクが描かれたオリジナルキャンドル💖
素晴らしい芸術品です。
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それにしても、中央アジアから何カ国???

ウイグル、イラン、トルコ、インド、
タジキスタン、トルクメニスタン、
キルギス、クェート、ウズベキスタン
モンゴル、中国、エジプト、
アゼルバイジャン、ロシア、ドバイ
アフガニスタン 、、
もっと、あると思います。

今思えば、細々と経営されてるお店から、何か買ってあげれば良かった!
本当にゴメンなさいっ!でした (謝)

中央アジアやロシア鉄道、キルギスの旅が実現できたら夢のよう
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クェートの商品が意外に多く、
アラビア文字がシンプルで素敵
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ナッツ🥜類はシルクロード定番
試食にはかなり人が集ってました
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ウズベキスタンのお財布は意外に
スッキリしたデザインでした。
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トルコの黄金の香水入れが、とにかく綺麗でうっとり💖💖💖
写真でお見せできず残念です。

キルギスを紹介するお店が、割と多くなかなか流行ってました。
本も販売されていて、キルギス旅行系も多くありました。
カラっと晴れた景色のキルギス共和国。
私もキルギス行ってみたいです。

これはキルギスの布製品。渋いですね。
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今日は楽しかったです。
ありがとうございました。
来年も是非参加させて頂きます♪



2023年10月 8日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[1]カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


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← 当時のリビアの国旗

原初の精神  -アフリカ史- リビア[1] 
カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

primordial spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [1] Gaddafi, proud of being a nomad

今回より何回かに分けて北アフリカのリビアをご紹介します。
最初イスラム教の殺伐とした歴史にあまり興味は抱きませんでしたが革命家のカダフィ大佐(カッザーフィー)の生涯だけはご紹介できればと思い、特集を組ませていただきました。

西側諸国はカッザーフィー(カダフィ大佐)を「中東の狂犬」と呼んで独裁者呼ばわりして恐れていますが、実は彼は手厚い社会福祉政策で、天国リビアを作った人です。
リビアの国民の全てを愛し、リビアの国民の幸せのために尽くした業績は素晴らしいものがあります。

ロシアのプーチン大統領も同じですが、西側メディアの作ったカッザーフィー(カダフィ大佐)のイメージというのはまったくの嘘で、本当の姿を報道していません。

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1967年に カッザーフィーは、革命によりアフリカで最も貧しい国の一つであるリビアを受け継ぎました。
そして彼が暗殺される前にはこの国をアフリカで最も豊かな国へと変えていたのでした。
しかも当時のリビアは、最も低い幼児死亡率、全アフリカで最も長い平均余命を誇っていたと言われています。

第一回目は古代リビアを取り上げ、カダフィが活躍する背景の時代を説明します。前置きが長くなりますが、彼が生まれた時代背景を知ることはカッザーフィーを知ることでもあります。

◎リビア国(アラビア語: دولة ليبيا‎, Dawlat Lībyā、英語: State of Libya)、通称リビア(リービヤー、ليبيا, Lībiyā、Libya)は、北アフリカに位置する共和制国家。
東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドとニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国のイタリアが存在する。首都はトリポリ。

トリポリ城:世界遺産レプティスマグナの遺物など貴重な資料が保管されています。


<古代リビア>

     「リビアにはすべてのものがある」 歴史家 ヘロドトス

古代リビアは、内陸の歴史や住民については不明なことが多いらしく、数多くの壁画や岩盤彫刻が残っており、それらが世界遺産になっているそうです。

紀元前2000年ごろ、フェニキア人を皮切りにローマ帝国、バンダル人、アラブ、トルコなどの外国人勢力が海岸線沿いに侵入しましたが、内陸の砂漠では遊牧民や原住民が、自由に移動して暮らしていたようです。

一言でいえば、古代リビアは、地中海沿岸からわたってきたフェニキア人が植民都市を築いた頃からの、長い歴史を持つ国といえます。

7世紀にイスラームが台頭し、アラビア半島からアラブ軍が侵攻して以降、内陸部にもイスラムが浸透していきました。

16世紀からオスマン帝国の支配が続き、20世紀初頭に地中海を隔てて対岸に位置するイタリアが侵攻し、植民地としました。第二次世界大戦中に、イギリスとフランスの共同統治を受けましたが、1951年に連邦制の王国として独立しました。

この1951年トリポリタニア、キレナイカ、フェッザーン連合王国ができるまでは、リビアは統一政権を持ったことがありませんでした。

リビアの海岸地域にフェニキア人が入り込んだ紀元前2000年ごろは、古来より交易にたけていたフェニキア人はベルベル人よりアフリカの金、銀、象牙などを安く仲介して仕入れていました。


<トリポリタニア (今の首都トリポリ)>

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紀元前7世紀ごろ、トリポリ、レプティス・マグナ、サブラタの3都市がフェニキア人によって建設され、フェニキア本国が征服されるとカルタゴの支配下に入った。ポエニ戦争によってカルタゴが滅ぶとローマ帝国の支配下に入り、属州アフリカの1地域となった。

トリポリは、ローマの属州(アフリカ州)になりつつも生き残ります。そして、トリポリが自立し繁栄したことは、アフリカ出身の初のローマ皇帝セプティミウス・セウェウスが、選出されたことからもうかがえます。
彼の出身地であるレプティス・マグナは、皇帝の威厳を示す凱旋門や劇場などの建築物があり、世界遺産の古代都市で有名です。

1510年にスペインによって征服され、1530年からマルタ騎士団の支配下に入りました。
1551年にオスマン帝国が征服し、西トリポリ州の州都に定められます。
西トリポリ州は1711年から1835年まで、「カラマンリー朝」がオスマン帝国の宗主権下に政権を立てたほかは、1911年にイタリアによって占領されるまで、オスマン帝国の直轄統治下に置かれました。

🟠トリポリの説明(「リビアを知るための60章 第二版」(塩尻和子著)より)

地中海の砦
3000年を生きた都

「トリポリはトリポリタニア三都市のなかでは、歴史を通じて生き延びてきた街である。紀元前一二世紀ころにレバノンからやってきたフェニキア人が、オエアという植民都市を建設して以来、三〇〇〇年を超える長い年月を生き抜いてきた砦の町でもある。フェニキア人、都市国家カルタゴ、ローマ帝国、アラブの侵入とイスラーム化、ビザンティン帝国、大小のイスラーム王朝、スペイン、マルタ島のヨハネ騎士団、オスマン帝国の支配、イタリアの侵略、リビア人のイドリース王をいただく連合王国、そしてカッザーフィーの革命、と地中海世界を中心に、東と西の勢力が交代にやってくるという東西の交流点でもあった。」

1951年 - 1963年:リビア連合王国
1963年 - 1969年:リビア王国
1969年 - 1977年:リビア・アラブ共和国
1977年 - 2004年:社会主義人民リビア・アラブ国
2004年 - 2011年:大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
2011年 - 2013年:リビア
2013年 - リビア国


■イタリア(ナチスドイツ)の過酷なリビア支配

20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地にしました。1912年ローザンヌ条約でオスマントルコ帝国は、サヌーシー教団のリビアに手を焼き、正式にリビアをイタリアに譲渡します。
ところがイタリアのリビア支配は、オスマン帝国の支配とは比較にならないほど過激で、1922年にはムッソリーニが、かつてのローマの属州であったリビアを取り戻すという、リビアのレコンキスタを宣言します。

彼の命令を受けた最高司令官グラツィアーニは、イタリアの法律にも国際法にも縛られずにリビアの反イタリア勢力を殲滅させることについての許可を要請し、ムッソリーニがこれに同意したと伝えられる。
植民地化後はイタリア人が入植したが、サヌーシー教団のオマール・ムフタールやベルベル人は激しいゲリラ活動を繰り広げました。
グラツィアーニはただちに反対派の制圧に着手した。イタリアはもともと自国が貧しく、リビアを占領した目的がイタリアの過剰農民人口の与えるためであり、リビア人の土地を略奪してイタリアの入植者に与えるという方針を採ったために、リビア人から激しい抵抗を受けました。
特にフェザーン地方での抵抗は激しく、リビアの完全平定は1932年にまでもつれこみました。
この対イタリア(ナチスドイツ)の対戦の中で、リビアの人口の4分の1が減ったといわれています。


■リビアの英雄の一人 ムフタール(砂漠のライオン)

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思想:イスラーム神秘主義
活動:反イタリア抵抗運動
所属:サヌーシー教団

<反イタリア抵抗運動>
1911年、伊土戦争の勃発によりリビアに戦火が及び、10月2日にイタリア海軍艦隊がトリポリに現れ、オスマントルコ軍が降伏を拒否したため、イタリア艦隊が砲撃を開始。3日間に渡る砲撃により街は破壊・占領された。サヌーシー教団はオスマン軍に協力してイタリア軍と戦い、ムフタールも戦闘に参加し、以降20年に渡りイタリア軍と戦うきっかけとなりました。

ムフタールはイドリース王によりリビア司令官に任命され、対イタリア運動の指揮を執ることになりました。ムフタールはキレナイカの地形と砂漠戦に熟知しており、1924年までに各地の反イタリア・ゲリラを指揮下に置きます。ゲリラ戦の際にはイタリア軍の補給ルートと通信施設を集中的に攻撃し、イタリア軍を追い詰めていきました。

1925年4月、イタリア軍の反撃により勢力が減退すると戦術を変更し、ベドウィンや隣国のエジプトからの支援を取り付け反撃を始め、1926年のベンガジでの戦闘では敗北するもののイタリア軍に甚大な損害を与えた。反イタリア勢力は、1927年から1928年にかけて勢力を拡大し、1,000人以上のイタリア兵を殺害しました。、ムフタールはスロンタでの戦闘で負傷し、イタリア軍に捕縛されました。
ムフタールはクルアーンの一節、「私たちは神のものであり、私たちは神に還されなければならない」を唱え、殺されてしまいます。

20年近くに渡り抵抗運動を指揮したムフタールは、「リビア独立の父」としてカダフィとともに、尊敬の対象となっています。

ムフタールの所属した神秘主義教団サヌースィー教団の精神的指導の伝統は、今でもリビア人気質に大きな影響を与えている。サヌースィー教団の活動によって、リビアの人々は、個々の部族の利害関係によって対立するのではなく、遊牧民の伝統と文化を守りつつ、自立した共存社会を形成してきたからであります。

しかしながら、サヌーシー王朝も停滞の時期がきます。
リビアは、オスマン帝国とナチスドイツに蹂躙されてきた、戦火の絶えない国でした。
そうした時代背景の中で、カダフィは若いころから政治に関心を持ち、大きな改革の使命を抱いた人としてリビアに現れたのでした。

・参考図書
「リビアを知るための60章 第二版」(塩尻和子著)明石書店
「カダフィと民族主義 イスラム主義の本質を探る」(最首公司著)ホーチキ出版

次回に続く