2023年11月 4日

『シルクロードバザール』 in 上野宋雲院 (11/4)


『シルクロードバザール』 in 上野宋雲院

シルクロードの国が楽しくなる
爆買いしたくなる中央アジアの雑貨☆彡

今月は、『原初の精神 リビア第二回』をお休みし、上野のシルクロードバザール(11/4)のご報告をさせて頂きます。

・ウズベキスタンのカラフルな小皿
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・人参とナッツのカップケーキ🧁
どちらも300円これだけでお腹いっぱい‼️
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晴天の中、上野の宋雲院で、とっても素敵なシルクロードバザールが開催されました。
最近はイスラム教や中東、アジアやアフリカがブームで世の中の関心がますます高まっていますよね。

宋雲院に到着して「あれ、普通のお寺だけど、、」と思っていたのですが、奥の方に行くと、中東の絨毯や雑貨、本が並び、ウイグルのお菓子やチャイが販売されていて、なかなか凝ったイベントでした。

・これはクウェートのバック
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ウイグル民族衣装を試着させていただきました。
うわー!派手ですけど絨毯の上で写真撮れて感激しました。

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お寺の境内にはタルチョが何本もかかり、会場はウイグル文化たっぷり。
因みにこちらは、虚空蔵菩薩が本尊みたいです。
一年に一回なんて寂しいですが、今日は来れて良かったです。

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いろいろなお店を見て、シルクロードのおしゃれ雑貨に思わずうっとり💖💖💖何もかも素敵で、欲望を抑えないと、爆買いの日になりそうでした。

・たしかクウェートのアラビア文字のカップ
何もかも素敵
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・とってもいい香りのするウイグルのブレンド茶
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ウイグルの食卓に並ぶレーズン。風情がありますね。
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具体的に良かったこと👍👍👍

・シルクロードの国の数が豊富
・民族衣装が着れた
・大手スピリチュアル企業が仕切っていない。
 どちらかと言うと、
 小規模のお店で個性溢れている
・シルクロードスイーツあり

モスクが描かれたオリジナルキャンドル💖
素晴らしい芸術品です。
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それにしても、中央アジアから何カ国???

ウイグル、イラン、トルコ、インド、
タジキスタン、トルクメニスタン、
キルギス、クェート、ウズベキスタン
モンゴル、中国、エジプト、
アゼルバイジャン、ロシア、ドバイ
アフガニスタン 、、
もっと、あると思います。

今思えば、細々と経営されてるお店から、何か買ってあげれば良かった!
本当にゴメンなさいっ!でした (謝)

中央アジアやロシア鉄道、キルギスの旅が実現できたら夢のよう
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クェートの商品が意外に多く、
アラビア文字がシンプルで素敵
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ナッツ🥜類はシルクロード定番
試食にはかなり人が集ってました
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ウズベキスタンのお財布は意外に
スッキリしたデザインでした。
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トルコの黄金の香水入れが、とにかく綺麗でうっとり💖💖💖
写真でお見せできず残念です。

キルギスを紹介するお店が、割と多くなかなか流行ってました。
本も販売されていて、キルギス旅行系も多くありました。
カラっと晴れた景色のキルギス共和国。
私もキルギス行ってみたいです。

これはキルギスの布製品。渋いですね。
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今日は楽しかったです。
ありがとうございました。
来年も是非参加させて頂きます♪



2023年10月 8日

原初の精神 -アフリカ史- リビア[1]カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして


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← 当時のリビアの国旗

原初の精神  -アフリカ史- リビア[1] 
カダフィ大佐 遊牧民を誇りとして

primordial spirit
- Modern and contemporary African history - Libya [1] Gaddafi, proud of being a nomad

今回より何回かに分けて北アフリカのリビアをご紹介します。
最初イスラム教の殺伐とした歴史にあまり興味は抱きませんでしたが革命家のカダフィ大佐(カッザーフィー)の生涯だけはご紹介できればと思い、特集を組ませていただきました。

西側諸国はカッザーフィー(カダフィ大佐)を「中東の狂犬」と呼んで独裁者呼ばわりして恐れていますが、実は彼は手厚い社会福祉政策で、天国リビアを作った人です。
リビアの国民の全てを愛し、リビアの国民の幸せのために尽くした業績は素晴らしいものがあります。

ロシアのプーチン大統領も同じですが、西側メディアの作ったカッザーフィー(カダフィ大佐)のイメージというのはまったくの嘘で、本当の姿を報道していません。

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1967年に カッザーフィーは、革命によりアフリカで最も貧しい国の一つであるリビアを受け継ぎました。
そして彼が暗殺される前にはこの国をアフリカで最も豊かな国へと変えていたのでした。
しかも当時のリビアは、最も低い幼児死亡率、全アフリカで最も長い平均余命を誇っていたと言われています。

第一回目は古代リビアを取り上げ、カダフィが活躍する背景の時代を説明します。前置きが長くなりますが、彼が生まれた時代背景を知ることはカッザーフィーを知ることでもあります。

◎リビア国(アラビア語: دولة ليبيا‎, Dawlat Lībyā、英語: State of Libya)、通称リビア(リービヤー、ليبيا, Lībiyā、Libya)は、北アフリカに位置する共和制国家。
東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドとニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国のイタリアが存在する。首都はトリポリ。

トリポリ城:世界遺産レプティスマグナの遺物など貴重な資料が保管されています。


<古代リビア>

     「リビアにはすべてのものがある」 歴史家 ヘロドトス

古代リビアは、内陸の歴史や住民については不明なことが多いらしく、数多くの壁画や岩盤彫刻が残っており、それらが世界遺産になっているそうです。

紀元前2000年ごろ、フェニキア人を皮切りにローマ帝国、バンダル人、アラブ、トルコなどの外国人勢力が海岸線沿いに侵入しましたが、内陸の砂漠では遊牧民や原住民が、自由に移動して暮らしていたようです。

一言でいえば、古代リビアは、地中海沿岸からわたってきたフェニキア人が植民都市を築いた頃からの、長い歴史を持つ国といえます。

7世紀にイスラームが台頭し、アラビア半島からアラブ軍が侵攻して以降、内陸部にもイスラムが浸透していきました。

16世紀からオスマン帝国の支配が続き、20世紀初頭に地中海を隔てて対岸に位置するイタリアが侵攻し、植民地としました。第二次世界大戦中に、イギリスとフランスの共同統治を受けましたが、1951年に連邦制の王国として独立しました。

この1951年トリポリタニア、キレナイカ、フェッザーン連合王国ができるまでは、リビアは統一政権を持ったことがありませんでした。

リビアの海岸地域にフェニキア人が入り込んだ紀元前2000年ごろは、古来より交易にたけていたフェニキア人はベルベル人よりアフリカの金、銀、象牙などを安く仲介して仕入れていました。


<トリポリタニア (今の首都トリポリ)>

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紀元前7世紀ごろ、トリポリ、レプティス・マグナ、サブラタの3都市がフェニキア人によって建設され、フェニキア本国が征服されるとカルタゴの支配下に入った。ポエニ戦争によってカルタゴが滅ぶとローマ帝国の支配下に入り、属州アフリカの1地域となった。

トリポリは、ローマの属州(アフリカ州)になりつつも生き残ります。そして、トリポリが自立し繁栄したことは、アフリカ出身の初のローマ皇帝セプティミウス・セウェウスが、選出されたことからもうかがえます。
彼の出身地であるレプティス・マグナは、皇帝の威厳を示す凱旋門や劇場などの建築物があり、世界遺産の古代都市で有名です。

1510年にスペインによって征服され、1530年からマルタ騎士団の支配下に入りました。
1551年にオスマン帝国が征服し、西トリポリ州の州都に定められます。
西トリポリ州は1711年から1835年まで、「カラマンリー朝」がオスマン帝国の宗主権下に政権を立てたほかは、1911年にイタリアによって占領されるまで、オスマン帝国の直轄統治下に置かれました。

🟠トリポリの説明(「リビアを知るための60章 第二版」(塩尻和子著)より)

地中海の砦
3000年を生きた都

「トリポリはトリポリタニア三都市のなかでは、歴史を通じて生き延びてきた街である。紀元前一二世紀ころにレバノンからやってきたフェニキア人が、オエアという植民都市を建設して以来、三〇〇〇年を超える長い年月を生き抜いてきた砦の町でもある。フェニキア人、都市国家カルタゴ、ローマ帝国、アラブの侵入とイスラーム化、ビザンティン帝国、大小のイスラーム王朝、スペイン、マルタ島のヨハネ騎士団、オスマン帝国の支配、イタリアの侵略、リビア人のイドリース王をいただく連合王国、そしてカッザーフィーの革命、と地中海世界を中心に、東と西の勢力が交代にやってくるという東西の交流点でもあった。」

1951年 - 1963年:リビア連合王国
1963年 - 1969年:リビア王国
1969年 - 1977年:リビア・アラブ共和国
1977年 - 2004年:社会主義人民リビア・アラブ国
2004年 - 2011年:大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
2011年 - 2013年:リビア
2013年 - リビア国


■イタリア(ナチスドイツ)の過酷なリビア支配

20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地にしました。1912年ローザンヌ条約でオスマントルコ帝国は、サヌーシー教団のリビアに手を焼き、正式にリビアをイタリアに譲渡します。
ところがイタリアのリビア支配は、オスマン帝国の支配とは比較にならないほど過激で、1922年にはムッソリーニが、かつてのローマの属州であったリビアを取り戻すという、リビアのレコンキスタを宣言します。

彼の命令を受けた最高司令官グラツィアーニは、イタリアの法律にも国際法にも縛られずにリビアの反イタリア勢力を殲滅させることについての許可を要請し、ムッソリーニがこれに同意したと伝えられる。
植民地化後はイタリア人が入植したが、サヌーシー教団のオマール・ムフタールやベルベル人は激しいゲリラ活動を繰り広げました。
グラツィアーニはただちに反対派の制圧に着手した。イタリアはもともと自国が貧しく、リビアを占領した目的がイタリアの過剰農民人口の与えるためであり、リビア人の土地を略奪してイタリアの入植者に与えるという方針を採ったために、リビア人から激しい抵抗を受けました。
特にフェザーン地方での抵抗は激しく、リビアの完全平定は1932年にまでもつれこみました。
この対イタリア(ナチスドイツ)の対戦の中で、リビアの人口の4分の1が減ったといわれています。


■リビアの英雄の一人 ムフタール(砂漠のライオン)

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思想:イスラーム神秘主義
活動:反イタリア抵抗運動
所属:サヌーシー教団

<反イタリア抵抗運動>
1911年、伊土戦争の勃発によりリビアに戦火が及び、10月2日にイタリア海軍艦隊がトリポリに現れ、オスマントルコ軍が降伏を拒否したため、イタリア艦隊が砲撃を開始。3日間に渡る砲撃により街は破壊・占領された。サヌーシー教団はオスマン軍に協力してイタリア軍と戦い、ムフタールも戦闘に参加し、以降20年に渡りイタリア軍と戦うきっかけとなりました。

ムフタールはイドリース王によりリビア司令官に任命され、対イタリア運動の指揮を執ることになりました。ムフタールはキレナイカの地形と砂漠戦に熟知しており、1924年までに各地の反イタリア・ゲリラを指揮下に置きます。ゲリラ戦の際にはイタリア軍の補給ルートと通信施設を集中的に攻撃し、イタリア軍を追い詰めていきました。

1925年4月、イタリア軍の反撃により勢力が減退すると戦術を変更し、ベドウィンや隣国のエジプトからの支援を取り付け反撃を始め、1926年のベンガジでの戦闘では敗北するもののイタリア軍に甚大な損害を与えた。反イタリア勢力は、1927年から1928年にかけて勢力を拡大し、1,000人以上のイタリア兵を殺害しました。、ムフタールはスロンタでの戦闘で負傷し、イタリア軍に捕縛されました。
ムフタールはクルアーンの一節、「私たちは神のものであり、私たちは神に還されなければならない」を唱え、殺されてしまいます。

20年近くに渡り抵抗運動を指揮したムフタールは、「リビア独立の父」としてカダフィとともに、尊敬の対象となっています。

ムフタールの所属した神秘主義教団サヌースィー教団の精神的指導の伝統は、今でもリビア人気質に大きな影響を与えている。サヌースィー教団の活動によって、リビアの人々は、個々の部族の利害関係によって対立するのではなく、遊牧民の伝統と文化を守りつつ、自立した共存社会を形成してきたからであります。

しかしながら、サヌーシー王朝も停滞の時期がきます。
リビアは、オスマン帝国とナチスドイツに蹂躙されてきた、戦火の絶えない国でした。
そうした時代背景の中で、カダフィは若いころから政治に関心を持ち、大きな改革の使命を抱いた人としてリビアに現れたのでした。

・参考図書
「リビアを知るための60章 第二版」(塩尻和子著)明石書店
「カダフィと民族主義 イスラム主義の本質を探る」(最首公司著)ホーチキ出版

次回に続く

2023年7月12日

タンザニア紀行 4/13-14 日浦先生、そしてキリマンジャロに感謝

 🔶無事帰国でき日浦先生に感謝🔶

いよいよ日本に帰る日を迎えて。

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この二週間危険なことがあったにも関わらず、無事帰国できるのは、日浦先生の護符アクセサリーがあったお陰だと思います。

キリマンジャロ登山の下山時に脱水症状で伏せてしまったときも、日浦先生のアクセサリーのご加護を感じました。

もし皆に見放されていたら、水を持ってくる人もなく、誰も救ってくれなかったと思います。

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3日間お世話になったガリバナーズホテルとお別れです。

荷物を纏めてバジャジ(三輪タクシー)を呼びました。

ウーバーで呼んだ運転手は、誠実で約束通りの金を払っただけで、料金をぼったくりませんでした。ココビーチやダルエスサラーム市街は、よろしければ動画をご覧ください。

ジュリウス・ニエレレ国際空港へ
 (Mwalimu J.K. Nyerere International Airport in Tanzania on 10 April 2023)
https://www.youtube.com/watch?v=h1tbJm1c77A

 ユリウス・ニエレレ国際空港では、出発時間の

夕方まで時間があり周辺を見学。

突然土砂降りの豪雨があり、天気が不安定です。

また空港の近くの店で、南国の果物、マンゴー、パパイヤ、

アボカドを見つけました。

マンゴーなんて日本で考えられない値段です。タンザニアって

何故かフルーツが食べたくなる国なのです。

タンザニア:25円〜
日本   :500円〜1000円


◼️さようなら、タンザニア!

帰りはエチオピア⇒ 韓国⇒成田 行きと同じルートでした。

エチオピア空港の飛行機の中で、アフリカの

マリのエンジニアが隣りの席に座っています。

日本に出稼ぎに来ているのでしょう。

今は麻布で生活しているそうで、時々マリに帰るそうです。

日本に押し寄せる外国人。
日本はますます食い物になるのか?
そして、いつまでも海外で成功しない日本人

それでも日本の良いところも沢山見えてきます。

◯ 日本の良い所
治安が良い
勤勉、勉強熱心
先進国で豊か
科学技術が進化して便利

タンザニアの良い所もまとめてみました。

◯ タンザニアの良い所
大自然と動物が素晴らしい
コロナを気にしない
時間を気にしない
フルーツが美味しい
物価が安い
南国リゾート

✕ タンザニアの悪い所
治安が悪い、犯罪も多い
なんでも金、金、金でたかられる
下手すると猛烈に外国人にたかるピラニアだ
外国人は気を付けないとスリやぼったくり被害にあいます。

 

久しぶりに顔を見たら、日焼けして自分も黒人になってました(笑)

日焼け止めも付けず、真夏日にあちこち歩いたから顔が真っ黒です。

この顔を見たらびっくりするでしょう。

◼️変わりゆく時代

そういえば帰国後1か月で世界情勢が変わりました。

ウクライナ対ロシアは、応援するロシアが優勢になりました。

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キリマンジャロよ、ありがとう。

願いが叶いました。

頑張ってギルマンズまで登ってよかったです。

また機会があったらチャレンジしたいです。

エチオピア航空の飛行機も長時間お疲れさまでした。
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「体力 知力 精神力 全て鍛えればまだまだ伸びる。」

「初心に返り瞑想し覚醒を得る」

そんな決意をしつつ。

タンザニアの動画沢山撮りましたから、ぜひご覧下さい。

皆さまの海外旅行のお役に立てればとっても嬉しいです!

タンザニア紀行 4/12 ムササニ半島


🔶4/12 ムササニ半島🔶

◼️半島の海沿いを歩く

いよいよ明日は、日本に帰る日となりました。

ダルエスサラームはウーバーやボルトなど

配車サービスは対応してくれます。

予約すると間違いなく来てくれました。

残りの半日でムササニ半島の上の方まで歩いてみることにしました

今日は入道雲が見え、海が大変綺麗です。

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一時間ほどで観光地のシークリフ・ホテルにつきました。

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ダルエスサラームSEA CLIF ホテルという海沿いリゾート
 (AROUND SEA CLIF HOTEL in Dar es Salaam, Tanzania on 12 April 2023)
https://www.youtube.com/watch?v=XZioWHAQvIo

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一流企業が進出
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この辺りは、パソコンやスマートフォンの会社、

家電製品の店があります。

中の店がまだ現在改装中のようで人気はありません。

これから発展するタンザニアが楽しみです。

◼️アフリカの植物

この辺りはMasaki といって、ダルエスサラームの中でも

外国人が住んでいそうな豪勢な邸宅が並んでいます。

大使館や国の行政機関やIT企業目に付きます。

サウジアラビア大使館
アラブエミレーツ大使館
ジンバブエ大使館

調べたらまだまだあります。

有名なホテルや大使館はイスラム建築でした。

やはりイスラム教って影響のある宗教なのだと思いました。


あと、こちらは植物が巨大でとてもユニークです。

大きな椰子の木。

人間の身体くらいもある巨大な葉があります。

至るところにバナナの木。

緑がとても生き生きしています。

写真でお伝えすることが出来ない巨大さです。

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ガリバナーズホテルは居心地が良い部屋でした。

クーラーがカンカンに効く部屋でよく休めました。

イスラム教のボスはとても親切な方。

ボスありがとうございました。

タンザニアに来たら、またこちらに泊まります。

後でわかったのですが、私はアフリカに何かを置いてきたらしいのです。

それは、物質ではなくて眼に見えないモノ。

そう言えば、急に軽くなりました。

わだかまりがなく、こだわりも無い。


タンザニア紀行 4/11 観光地Slip WayとWater Front


🔶4/11 観光地Slip WayとWater Front🔶

◼️ガリバナーズホステルで朝食とプール

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Gallivanters Hostelプール付きの素敵な邸宅の朝
( Gallivanters Hostel morning with Pool in TZ on 10/4/2023)
https://www.youtube.com/watch?v=dCJzaPTcdIk

昨日はいろいろあってカリアコーからすぐホテルに帰りました。

一夜明けて今日は、ムササニ半島の東側にある

海岸沿いのリゾートに行くことにしました。

昨晩は、物騒な蚊がいて、生まれてこんなに蚊に

食われたことは無いくらい、右足をさされました。

蚊の音で眠れず、足は痒くて真っ赤になりました。

ホステルの朝食
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トーストとコーヒー、
スクランブルエッグ

壁にはタンザニアの絵画があります。
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朝食をいただいている時に、ふと見ると、タンザニアの

スマートフォンや一流企業の通信サービスの広告の

パンフレットがテーブルに載っているに気づきました。

ITテクノロジーが好きなので日本が懐かしくなりました。

さすがに便利な日本に帰りたくなります。

 

昨日ホステルから歩いて10分のスーパーで買ったパンと

巨大なチョコクッキーを買いました。

どちらも500g で2000シリング(100円)

どっさり入ってしかもモチモチして美味しいパンでした。

巨大なチョコクッキーも金欠の私は大変助かりました。

タンザニアはスーパーやちゃんとした企業は、

お釣りを間違えなく返します。

普通の店やバス、タクシーだとまず返しませんから要注意です。

「Return money (お金を返してください)」

お釣りはよく確認してボラれないよう注意です。

こちらのホステルには、客が1階、スタッフは2階にすんでるようです。

ドミトリーで、3泊4日で40ドルと言う、エコノミーな値段でした。

こんな素敵な邸宅に安く泊まれたのはラッキーかもしれません。


◼️ショッピングモール
Slip wayとwater front

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ムササニ半島のSlip wayショッピングモールは

ダルエスサラームの代表的な観光地の一つです。

歩いていけるのかどうか、地図を開いて道順を調べました。

ホステルから緑の中を一時間ほど歩きます。
美しい邸宅と、貧しい農村
一流企業の建物と、スラム

タンザニアは貧富の差はあちこちに見られます。
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途中路上でマダムが売るマンゴーを食べて生き返りました。

一個500シリング=25円

日本のマンゴーに比べたら驚愕の安さです。

バックパッカーには大変ありがたいお値段。

ありがとうございます!! 

海沿いのリゾートらしい風景が見えてきてSlip wayは

一時間程でつきました。

ここは外国の資本で作られたショッピングモールで

アフリカ雑貨や服、天然石タンザナイト屋、ツアー会社、

レストランやカフェ、本屋、絵画があります。

別に入場料も取らないし、タカリも居ないです。

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タンザニア スリップウェイとウォーターフロント①
(The Slipway and The Waterfront in Masaki, DS, TZ on 11 April 2023 )
https://www.youtube.com/watch?v=n-h3EAfSX-g


タンザニア スリップウェイとウォーターフロント②
(The Slipway and The Waterfront in Masaki, DS, Tanzania on 11 April 2023 )
https://www.youtube.com/watch?v=PTBRcg2KIb4

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青い海に漁船がいくつもある。この辺りは海産物が

よく採れるのでフィッシュマーケットが有名です。

タンザニアはシーフード料理がおすすめのようです。

真夏の日差し

ビーチ

こちらは明るい南国の日差しが指す観光スポット。

でもこの青い海の向こうの島で、かつて不幸な歴史がありました。

青い海は何もかも飲み込んでいるようでした。

しばらくのんびり景色を見て心を癒す。
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アルーシャヘリテージセンターの支店もあります。

動物にしがみつく子供の置物。

人間は怖いけど、動物は優しい。

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この日はウォーターフロントまできて目標達成し満足して帰りました。

タンザニアは場所により危険度が全然違います。

一般的にガイドブックや外務省が「危険だから行かないように」

と指示のある場所は行かないよう、充分注意なさってください。

ムササニ半島は、行政地区で、セキュリティがしっかりした

犯罪が無い雰囲気で閑静な佇まいです。

こちらの半島の真ん中あたりにオイスターベイや

ココビーチなどがあり、その辺が高級住宅地があるそうです。

泊まるならこの辺りおすすめです。

いろいろあってダルエスサラームはあまり観光できませんでした。



タンザニア紀行 4/10 カリアコー


 🔶 4/10 カリアコー 🔶

◼️カリアコーマーケット(Dar-Es-Salaam-Kariakoo)

この日はカリアコーから動画を撮り終えた後、事情があり、

すぐにホステルに帰りました。

カリアコーはダルエスサラームで有名なマーケットで、

日用品は何でも手に入りそうです。

こちらでは、カリアコー行きバスを良く見かけます。

着いてみるとすごい雑踏で、衣料品地区には外国人は全くいません。

外国人がウロウロ来る所では無いのでしょう。笑

それでも、使命の動画は撮ることができました。

ダルエスサラームのカリアコーマーケット
 (Kariakoo market in Dar es Salaam, Tanzania on 10 April 2023)
https://www.youtube.com/watch?v=7j4EOrfR0NM&t=78s

色とりどりの生地。
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カリアコーはイスラム教の方が多いです。

また、こちらの女性の服装は大変派手でおしゃれです。

大胆なデザインの柄が、とても魅力的です。

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試食したら果物やココナツなどフレーバーでした。

調べたらバオバブの実に味付けしたお菓子らしいです。

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生活雑貨や衣類はなんでも手に入りそうです。

日本のアメ横みたいです。
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この日は、ホステルに帰ってスーパーマーケットでパンを買って休みました。

タンザニア紀行 4/9 ダルエスサラームへ

🔶4/9 ダルエスサラームへ🔶

今日は、タンザニアの首都ダルエスサラームに向かいます。
実際の首都はドドマですが、首都機能はダルエスサラームにまだあるそうです。

ダルエスサラームは、
「平和の家」
「平安の地」
と言う意味だそうです。

アルーシャ空港からプレシジョン航空で、ユリウス・ニエレレ国際空港へ。

今朝のアルーシャの雑踏はいつも以上でした。
アルーシャは喧騒な街だと思います。
良心的な人を見つけないと外国人は危険です。

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外国人を騙さないのはイスラム教徒など経験な信仰心がある人でしょう。
イスラム教の服装をした人にバイクタクシーなど頼むと良いかもしれないです。

今朝は寒い朝で、アフリカ人の厚着の姿を見ました。
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ダウン、セーター、革ジャンの人も。
厚手の真冬の服装をしています。
赤道直下の国だから寒さに弱いのでしょうか。

空港にはバジャジ(三輪タクシー)であっという間に着きました。
5000シリング(250円)で助かりました。

海外でお金をバンバン使うのは怖いと思います。
長期の滞在中に事故が発生した時のことを考え支出は抑え気味。

◼️アルーシャエアポート近くのコーヒースタンドで朝食

ビスコッティ 3000シリング(150円)
コーヒー 3000シリング(150円)
デーツ一袋 5000シリング(250円)

絶品デーツとコーヒーでホっ。やっと気持ちが落ち着きました。

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アルーシャ空港の近くで珈琲とクッキー、デーツで軽食
(Snack on coffee, cookies and dates near Arusha Airport on 9th April 2023 )

プレシジョン航空の出発は13:00で搭乗時間にはまだまだ時間があります。
チェックインカウンターは、野外のテントの中に、ぽつんとありました。

空港スタッフの男の子が寄ってきて、話しかけて来ました。
彼は荷物を運びながら時間をつぶせそうな野外カフェに連れて行ってくれました。
ちなみに、この辺りの敷地の隣りは、実は刑務所だそうです。

彼は日本語を沢山知っていて、日本アニメ好きだそう。

「サクラも知ってるよ!」

「アフリカ大陸はどこを旅行したことがあるのー?」

「ケニア、南アフリカ行ったよー」

「どの国が好きだった?」

「南アフリカが綺麗!でも高いです。」

2人でコーヒー、デーツ

日本語上手な方で将来有望そうです。

外国人が車でぞろぞろチェックインカウンター前に到着しました。

外国人はホテルの送迎やタクシーを使う人が多く、三輪タクシーで来る人はあまりいないようです。


◼️世界遺産ザンジバルの上空を通る

今からプレシジョンエアで2時間でユリウス・ニレレ空港に着きました。

途中

Zanzibar (ザンジバル)😱
Zanzibar (ザンジバル)😱

って機内アナウンスが流れる。

ひぇ~

窓からのぞくとオレンジ色の民家の屋根が沢山見えます。

見てしまった、、、
しかも、
間違えて降りそうになる。

写真は撮りましたけどすぐ消してしまいました。

世界遺産ザンジバル

ここはかつてイギリスの植民地時代に奴隷市場があった島で、あちらでは大変有名な観光地なのです😱😱😱 
「アフリカのハワイ」なんて、とんでもなく失礼な名前があるらしく、この辺りの海は綺麗でリゾート地になっています。
奴隷貿易の歴史はここでは省略しますが、思わず涙が流れる方もいらっしゃるでしょう。

ここで少し、ユリウス・ニエレレと言う方の説明をしましょう。


ジュリウス・カンバラゲ・ニエレレ

Julius Kambarage Nyerere

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ニエレレはタンザニア連合共和国の初代大統領です。

イギリス植民地で奴隷貿易下にあったタンザニアは、ザンジバル革命軍の革命により、次第にイギリスからの独立の活動が高まりました。

ニエレレの汎アフリカ主義の精神の下で革命軍と連合し、1964年4月26日にタンガニーカ・ザンジバル連合共和国が成立し独立を果たします。

連合共和国の初代大統領となったジュリウス・ニエレレは、内政面ではスワヒリ語を国語とし、1967年のアルーシャ宣言発令以後は社会主義の建設を目指しました。

本当は貧民でしかも大した武装する力もない人間たちが、初めにザンジバル革命を起こしたのです。

ザンジバルの蜂起が成功したから、ザンジバル王国の奴隷貿易好きの連中は殺され、またイギリスに逃亡したのです。

革命に加担した者も、財産没収され殺されてしまいました。

タンザニアの独立の歴史の陰で、数多の無名の人々の、血と涙が流れてきたことを忘れてはならないと思います。


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◼️ダルエスサラームに到着

残り1時間弱のフライトの後、いよいよダルエスサラームが見えてきました。
ユリウス・ニエレレ国際空港は首都らしく設備や対応がしっかりしています。

外には綺麗な花壇があり、広々とした公園みたいです。
おもわず綺麗で動画を撮ったら警官がでてきて罰金になりました。
3000シリング(150円)だそうです。
動画は気をつけないとスパイと疑われて没収になるかもしれないです。

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休憩場所を探して空港の外をウロウロします。

少し離れたところでに「エアポートモスク」というイスラム寺院があり、その近くにジュースや食べ物が売っています。
失礼ですが、ここも食べ物事情や衛生面はよくないです。

ハエの付いたパン🍞!!!

アフリカに来てハエには慣れましたが、このような食べ物を普通に売っています。
仕方がないからなるべく綺麗なパンを探しました。
入り口には焼肉の肉を吊るしてあります。

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ダルエスサラーム イスラムモスクの近くで休憩②
(Dar es Salaam Rest near Islamic Mosque, Tanzania on 9 April 2023)

椅子を用意してくれたスタッフの皆さんとコンニチワ。
この辺りから、さらに栄養不足がひどくなります。

2人でハイチーズ!!
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イェー!!!
サンキュー
ピース

音楽ガンガンでした。

右も左も分からないので、とりあえずカリアコー行きのダラダラバス(市民バス)に乗ることにします。
怖いけどバックパッカー激安路線で頑張ることにしました。

さすが首都です。アルーシャより所得が高そうです。

今日から泊まるホステルには、バスと3輪タクシーを使い、夜にやっと着きました。

◼️ムササニ半島のガリバナーズホステル

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ガリバナーズはプール付きの洋館で素敵な邸宅でした。

スタッフのお兄ちゃんは、眼鏡をかけたグラスマンで英語が堪能で、簡単に施設の使い方を説明し部屋に案内してくれました。

プールはいつ泳いでも良いとのこと。
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Gallivanters Hostel プール付きの素敵な邸宅で
(Gallivanters Hostel in Tanzania Dal es salaam on 9 April 2023)


バックパッカー向け4人ベッドのドミトリーですが、クーラー付いていてカンカンに冷やせて涼しいです。

広々とした部屋に今日は私1人しかいませんでした。アフリカらしい派手なカーテンがあります。
明日はダルエスサラームを観光します。


◼️怪奇現象の夜

この日の夜は怪奇現象がありました。

バーニー
バーニー
バーニー

何度も夜中に声がします。

耳元で誰かが、いきなり馬鹿でかい声でどなる。
バーニー!!
ビックリして飛び起きました。
まさかの幽霊屋敷!?

だからこの部屋は安いのでしょうか。

タンザニア紀行 4/8 アルーシャ 感動のアフリカ美術


🔶4/8 アルーシャ 感動のアフリカ美術🔶

今日はアルーシャ観光の1日です。

アルーシャは、見所のある観光スポットが沢山あります。タンザニアの旅行のガイド情報になれれば幸いです。
今朝もコケコッコーの鶏の鳴き声で目覚めました。バナナ農園のスタッフが掃除や朝食作りが始まっています。

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タンザニアのバナナ農園にて
(Arusha Banana Farm on 8 April 2023 in Arusha, Tanzania)

食堂入り口もバナナだらけです。
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バナナ農園の可愛いらしい朝食メニューです。
アフリカの主食の一つであるサモサやアフリカンコーヒーが出されました。
壁にはタンザニアらしい絵が貼ってあります。

オムレツ
アフリカカフェ
サモサ
パンケーキ
マーガリン

原色のカップがステキですね!
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朝は、バイクタクシーの男性がすっぽかしたので、仕方なく農村の中をピースポイントまで動画撮影しました。

村の教会
貧しい民家
子供や野良犬達

ジャンボ〜😆
(コンニチワ)

農村を行きかう人たちと明るく挨拶を交わします。

ガタガタ道で撮影のため、お見苦しい動画でゴメンなさいmm

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アルーシャの農村をピースポイントまで歩く
(Going Peace Point  from Banana Farm on 8th April 2023 in Arusha, Tanzania)

アルーシャに着いたら、ノリノリの若いガイド(ミスターJ)に捕まりました。彼はアルーシャの事はなんでも知っていそうでした。
この手のガイドビジネスは、タンザニアでは当たり前のようです。

こうしたガイドは最初は「無料です、無料です」と言いますが実は違います。

タンザニアは庶民の生活の方は、犯罪だらけと言ったら失礼ですが、ぼったくりや、タカリが沢山います。

彼は
「子供がいてぼくに頼る」
「お昼は、アフリカンランチ!!」
なんて、しつこく付いて来るので、ついつい彼をつき合わせてしまいました。

◼️野菜マーケットへ

ベジタブルマーケットにつくと、スパイスが山盛りが何種類もありました。
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タンザニア アルーシャの野菜マーケットで大騒ぎ 
( Arusha vegetables and fruits market in Arusha, Tanzania at 10 April 2023)

マーケットにはマサイ族メディスンのコーナーがありました。何やら調合した粉末を置いています。

「これは胃の薬ですよ」

彼らはアメリカ原住民のネイティブ・アメリカンと良く似ており、スワヒリ語や赤やチェックの民族衣装をまとっています。
暗闇の中のマサイ族の医者は印象的でした。

ミスターJは歩きながら、あちこちの木を指差して「あちこちに果物の木があるよ」と説明しました。
南国の果物が町中に実るなんて!!

◼️マサイ族マーケット

こちらもガイド無しでは観光できないし、許可が無いと動画撮影不可です。
ミスターJのおかげで、撮影が難しい場所で許可を得て、撮ることができました。

キリンやシマウマや象
野生動物の絵画
木彫りの民芸品
動物のお面

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マサイマーケット①
(Maasai Market Curios and Crafts in Arusha, Tanzania at 10 April 2023)

お昼はアフリカ料理のランチ会となりました。

ウガリ(とうもろこしの粉)
羊の肉
鳥の手羽肉
おかず
辛いソース
オレンジジュース

箸は無いから、アフリカンスタイルで手で戴きました。
ミスターJ は、元気いっぱいに、ウガリとおかずの摘み方を教えてくれました。

実はこのお肉、見た目はいまいちですが、大変美味しいのです。

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値段を聞いたらゼロが一つ多い。

奢ると約束したので、ディスカウントと割り勘をして値段を下げてもらいました。

でも、楽しかったからいいでしょう。撮影に協力してくれて、珍しい動画が撮れましたから。
彼とはお別れし、一人でヘリテージセンターに行く事にしました。

◼️アフリカの塗り薬

このあと、登山の日焼けや指輪の皮膚のひび割れが酷いし、慣れないアフリカに疲れてきたのかボロボロになってアルーシャの薬局に行きました。

Delar (ドロール)
アラビア語が書かれていました。

薬局の男性は私に薬を見せて、全部に効くから、といいました。

25000シリング=750円

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後で調べて分かったのですが、このドロールと言う薬は、「プロピオン酸クロベタゾール」と言う強力なステロイド外用薬らしくて、
日本では医師の処方が手に入らす、市販されていません。

右手はここ半年酷いひび割れでしたが、
アフリカに来て、登山をしたあと、指はさらに赤く剥けておりました。

デロールを暫く塗ったら、何日か後に指のひび割れは緩和していました。
効果が強いので、あとで調べたら強力なステロイド外用薬だったのです。

さて、次はバイクタクシーを捕まえ、アルーシャカルチュラルヘリテージ(Arusha Cultural Heritage Centre)です。閉館まで2時間しかありません。

◼️カルチュラル・ヘリテージ
アフリカ美術の宝庫

これを見るためにタンザニアに来たかも知れないです。
感動をお伝えしたくて動画を撮りました。

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庭中にものすごい数の動物のモチーフがあります。
これだけ動物を作り続けるエネルギーは何でしょうか?

迫力があってかっこいいです。
でも非常に悲しくなる所でもあります。

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ティンガティンガと言うタンザニアの絵画が有名ですが、野生動物を生き生きと描いています。

彼らの人生の中に、いつも純粋な動物達がいたのでしょう。

こちらは動画撮影OKです。著作権のある絵画は禁止です。

The Cultural Heritage Centre in Arusha, Tanzania(part 2) on 8th April 2023

ヘリテージセンターのスタッフの英語はよく聞き取れませんでしたが、
これらの大量の動物の彫刻は、ロコと言う低所得者芸術家が作っているとのこと。
隅の方にカンカンと金属をたたく音がする芸術家の工房があります

🔶感動の嵐

一つ隣りの建物は絵画の美術館(アートセンター)で、タンザニアに限らずアフリカ中の膨大な絵画が集まっています。

タンザニアにもしいらしたら、絶対ここはオススメします。(入館料無料)
ここは一日いてじっくり絵画から彫刻から見れたら良かったと思います。

この日は満足して、バイクタクシーとバスでバナナ農園に帰りました。

◼️最後の農園の夜

夜は部屋で寝転がって、紙袋につつんで持ち帰った残ったウガリと肉を食べました。

確かにアフリカのバーベキューは美味しいのです。
それでも食べ物にありつけず、だんだん栄養不足になります。

なぜなら日本のように近くにコンビニがが無いためです。
日本は食糧の調達に全く困らず、いかに恵まれていることでしょうか。

ヘリテージセンターの感動がまだ残っており、素晴らしい一日でした。

タンザニア紀行 4/7 モシからアルーシャへ「カリブ〜」(ようこそ)


🔶4/7 モシからアルーシャへ「カリブ〜」(ようこそ)

◼️吉兆混淆の登山を終えて

下山の翌日は、しばらくホテルで寝込んでいる予定でしたが、体調はすっかり回復したので、次の目的地に向かうことになりました。
モシのホテルをチェックアウトし登山会社に40ドル支払います。

登山会社はギルマンズポイントまで登ったので、証明書を授与してくれました。

登山証明書
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タンザニアのモシにあるホテルの朝(登山の翌日)
Morning at the Keys Hotel in Tanzania (April 7, 2023, the day after climbing)

登山会社にモシのバスターミナル近くに車で送ってもらいました。
モシのクロックタワーの近くのATM で、タンザニアシリングを引き出すします。

辺りを見回すと、なにやらお店が並ぶストリートがあります。
ストリートフードはこちらに来て初めてです。
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肉や魚などランチが食べれるかもしれないと期待していたのですが、ちょっと寂しい結果です!

バナナ1ピース → パサパサして味が無い? 50円
魚1ピース → 魚は美味しいです 500円
フルーツ炭酸 → 日本と同じでした 50円

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食事のあと、バナナの葉に書いた絵を買いました。
確か3000シリングくらいです。(日本円150円)
青年アーティストの描いた絵で、どうしても買ってほしいそうです。
貧しいタンザニアの国で精一杯働く人たち。

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◼️キリマンジャロエクスプレスでアルーシャへ

キリマンジャロエクスプレスでアルーシャ行きのチケットを買い、これからアルーシャへ向かいます。
ちゃんとした会社でしかも4000シリングで、エコノミーな値段ですから安心です。

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こちらははっきりとした時刻表がありませんので、バスがいつ来るか分かりません。
とりあえず座って待っておりますと、やっとバスが来ました。

アルーシャまでの2時間は、バスの中で、途中のどかな農村の景色を見ることができました。

キリマンジャロエクスプレスに乗って農村をゆく
(Taking the Kilimanjaro Express through the countryside on 9th April 2023)

バスの中では女性もバスのスタッフをして働いています。
アルーシャはフェミニンになるから不思議です。

やっとアルーシャに着いてバスから降りますと、タカリが沢山寄ってきてホテルやタクシーに誘います。

「良いホテルありますよ。」
「どちらに行きますか?」
「タクシーはいかがですか?」

トランクをバスから下ろしてもらいましたが、荷物を見てないとあっという間に無くなりそうです。

タンザニアでは市民バスを「ダラダラ(daradara) 」と言います。大変安いバスで600シリング(30円)ぐらいで混んでいますが、慣れると便利です。


◼️バナナ農園へ

こうしたバス乗り継ぎながら、今日泊まる予定のバナナ農園へ向かいました。
ピースポイントについたけど右も左も分かりません。

少し歩くと牛がのんびりと草を食んでいたり、路上販売のとうもろこし屋さんがいたりします。
一つ500シリングで2本買いマダムは丁寧にとうもろこしの葉に包んで渡してくれました。

焼トウモロコシも乾燥バナナも、固い~(涙)
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バイクタクシーが何人も声をかけてくるので仕方なくお願いします
バイクタクシー2000シリング (100円)ぐらいです。

生まれて初めてバイクタクシーに乗りました。
スーツケースも紐で後ろにゆわえて運ぶのをお願いしました。

ガタガタ道を相乗りバイクで登っていく。

バイクタクシーの少年の運転はかなり揺れたので、振り落とされないようにしていました。

このローカルな風景は、まるでタイムマシンで40年まえにスリップしたような昭和の風景です。
子供の頃に戻ったような気がしました。

バナナ農園まで歩いてたら、倒れていたと思います。
タンザニアにきて日本との大きな違いに気づきました。,
サービスも金
道の説明も金

タンザニアはお人好しなボランティアはいないと思いました。
サービスに対しては、必ず対価を請求する人が多いのです。

◼️バナナ農園はマサイ族のお兄さんがお迎え

カリブ〜♪
(ようこそ)

緑の中のバナナ農園
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こんにちは!マダム

真っ赤な民族衣装をきたマサイ族の方と、マダムがお迎えにきてくれました。

マダムはカントリー調の服でかわいいらしいお洒落な方です。

頼めば夕飯も作ってくれるそうです。

バナナ農園の夜は、音楽が賑やかです。

夜は、焚火と音楽、ライトアップ

疲れを癒すスモークの周りで夜中まで語らいが続きます。

夜空を見上げてベンチで寝ころがる。

タンザニアの夜はとても幻想的です。
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バナナ農園の幻想的なタンザニアの夜
(Fantastic Tanzanian night on a banana plantation on 7th April 2023 in Arusha, Tanzania)

こちらも値段の割にはとても、タンザニアのアートや装飾が凝っておりますので
ぜひおすすめします。
カントリーな農園な空間は、また明日ご紹介します!

タンザニア紀行 4/6 ギルマンズポイント


🔶 4/6  ギルマンズポイント🔶

◼️深夜に雪の上を歩いてギルマンズへ

夜中10時頃に起きたら、山小屋の外は真っ白な雪でした。
昨日晴れていたのですが雪が積もっており、幸い吹雪ではありません。

「今何度でしょうか?」

「マイナス5度。ユーはラッキーね🤞

「本当ですか?」

この話しは、ギボハット付近の話しで、上に行けば、こんな気温のはずがありません。
恐らくあの寒さはマイナス12、13度ぐらいだと思います。
ガイドはワザと怖がらせない事を言うのかもしれません。

この日は絶頂寒い日でした。
登山は私達だけかと思ったら後から数人外国人登山が追いついて、追い越しました。

私は途中何度も休憩をしながら登りました。
さすがに年齢を感じつつ。
月夜で照らされた白銀の世界で、月の光が煌々としてとても綺麗でした。

景色は暗くて月しか写真に写っておりません。ゴメンナサイmm
撮影したのは標高5300mの辺りでしょうか、動画は声しか撮れておりません。(謝)
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キリマンジャロ登山 大雪が降った夜にギルマンズポイントへ出発
(Kibo Hut, Mt. Kilimanjaro in 5 April 2023 )

夜明け前の闇は1番深いのでしょうか。

キリマンジャロは登山経験者が皆「死にそうになって登った」という体験談がよくありましたが、この日の寒さは体験したことのない寒さでした。

カタツムリの歩みで人一倍時間がかかってしまう。
後ろを振り返ると遠くにケニアの街の光が見えました。
夜明け前の闇は一番深いのでしょうか、とにかく日の出が待ち遠しかったです。

待ちに待ったサンシャイン!!

ガイドの方が「ギルマンズもう少しだよ」

ポレ ポレ
(ゆっくり、ゆっくり)

胃が痛くて途中3回吐いてしまう。 
これも薬の合わせ飲みが原因だと思います。

ガイドが遥か上の小さな建物を指差して言いました。

「ギルマンズだよ!」

やっと目的地が上の方に見えてきました。
ギルマンズポイントは、サミットのウルルピークの200m下にあります。
今回は実はサミット登頂はせずにギルマンズポイント迄と決めていました。

爽やかな朝日と青空が広がるなかやっとギルマンズの景色を見ることができました。
ここまで来れば目標達成です。

キリマンジャロ  ギルマンズポイント天空の光
( Mt.Kilimanjaro GILMANS POINT 5685m on 6th April 2023 )

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一人では絶対に無理なことで、いろんな方々のお力のお陰だとしみじみ思います。
キリマンジャロの企画を応援して下さった日浦先生や皆さんのお陰です!!

◼️下山の時の脱水症状
日浦先生のアクセサリーが見えて

この時点で水筒にはほとんど水がありませんでした。
危機感を感じて、とっさに山の雪を食べながら下山しました。
下山は大変楽なのですが、日が昇るとともに、喉がカラカラに乾いてしまう。

歩く気力が無くなり、下山中に立っていられなくなってしまいました。
水がないと気づいた時に手を打つべきだったのです。

「歩いて歩いて」と言われましたが、脱水症状で喉がカラカラで私はヘタっと地に臥してしまったのです
地面に臥せながら、心の中で最期のお別れの挨拶を家族と先生方に伝えていました。

「お父さんお母さん、日浦先生。
いよいよ、私も最期の時が来ました」

そしたら

急に日浦先生のジュエリーアクセサリーが沢山見えてまいりました

しばらくすると、水を持ってポーターの子が戻って来たのでした。
この時ほど護符の偉大なお力を感じたことはありません。

結局このあと登山スタッフに担がれて下山します。
水を飲んでから、登山スタッフが代わる代わる担いで下さり山小屋まで降りました。
そのあと、目をつぶっていてよく見えなかったのですが、ガタガタ荷車みたいなのに載せられ大揺れ。

登山会社のスタッフが、

オダさん、
コンニチハ
ダイジョウブデスカ

日本語が上手なスタッフの声が聞こえました。
「皆さんありがとうございます」
皆さんの温かい気持ちに感謝でした。

タンザニアの方は純粋な方ばかりで、感謝感謝でしたが、たいした御礼もできませんでした。
搬送してくれたポーターの皆さんにチップをお渡ししました。

途中、数人がかりで登山スタッフに搬送していただきキリマンジャロ登山は終わったのでした。
この日は下山してから、急遽登山会社の拠点のホテルに泊まることになりました。
ここはコーヒーやお茶が飲めたり、ベッドメイキングされた一人部屋のホテルの部屋です。

まだ胃が痛くて何も喉を通りません。

健康でツワモノの人は、体が弱い人の心理が分からないのかもしれません。

登山会社のHPには「ストロングマンがスタッフです」と書いていますから、あのような高い山を何度も登るガイドやポーター、
コックの方は人並み以上の体力はあるのでしょう。

一方でポーターの方のご負担の大きな仕事は、由々しき問題に思えてなりません。