2022年3月 1日

原初の精神 -アフリカ近代史・現代史- モロッコ[2]

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原初の精神  -アフリカ近代史・現代史- モロッコ  [2]





Primordial spirit 
- African modern history / present history - Morocco  [2]
第2回  ムラービト朝、ムワッヒド朝、マリーン朝

〇ムラービト朝 (1040年 - 1147年)
イブン・ヤースィーン建国
マラケシュの繁栄 

イドリース朝が王族争いで衰退すると、代わって南サハラからきたムラービト朝が栄え始めました。

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ムラービト朝は北アフリカのサハラ砂漠西部に興ったベルベル系の砂漠の遊牧民が母体となり、モロッコとアルジェリア北西部、イベリア半島南部のアンダルシアを支配したイスラム王朝です。

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マーリク派法学者であったイブン・ヤースィーンと彼の教説を支持するサンハージャ族一派は、現在のモーリタニアにあるセネガル川にある島に城塞(ラバート)を築いてそこに籠もり厳しい修道生活を始めました。修道生活に努める一方、彼は将来の教え勢拡大を考えて、身体を鍛え、剣術などの武術を磨いたそうです。

そのため、彼らは、「城塞(ラバート)に拠る人々」という意味の「ムラービトゥーン」と呼ばれます。 

彼の時代は、ラクダ遊牧民の宗教改革運動で、サハラ交易を通して運ばれた金により、新都マラケシュは繁栄しました。

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カリスマ的なイブン・ヤースィーンは、1058年に暗殺されてしまいます。

その後ムラービト朝はモロッコを制圧したのち、ユースフ・イブン・ターシュフィーン(位1061年~1107年)が現れます。有能な君主だった彼は、マラケシュの町を自らの手で立ち働いて整備し、モスク建設、灌漑路の開発を行い、「預言者ムハンマドと同様」という賛辞を浴びました。

ユースフは出兵、カスティーリャのアルフォンソ6世と会戦を行なっいましたが、ムラービト軍の太鼓の音と隊列に恐れをなしたカトリック連合軍は敗走したと言われています。

ユースフ死後、モロッコでは各地で反乱がおき、マラケシュはムワッヒド朝に攻め滅ぼされ陥落してしまいます。
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〇ムワッヒド朝  (1130年 - 1269年)

自ら救世主と称したイブン・トゥーマルト

ムラービト朝に続いてムワッヒド朝も宗教運動により生じました。始祖イブン・トゥーマルトは各地を遊学して独自の神学を打ち立て最終的には自ら救世主と称しました。

しかしがらマーリク法学派が完全に優勢であり、ムワッヒド朝もこの流れを抑えることはできませんでした。

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〇マリーン朝 (1196年 - 1465年)

その後12世紀末から15世紀末にかけて現れたのがマリーン朝というイスラーム国家です。

マリーン朝の国旗
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マリーン朝は、ザナータ系ベルベル人のマリーン族によって建国されました。フェズを首都とし、マグリブ西部を支配します。
宗教改革ではない勢力を母体とした彼らは、マドラサを建設しマーリク法学派を擁護て優遇措置を取りました。マリーン朝ではムワッヒド主義は継承されず、マーリク派が採用されました。
マーリク派は主に都市部で支持され、地方では聖者崇拝思想(マラブーティズム)の影響が強くなりました。