2020年8月10日

名著に学ぶ『ギャーナ・ヨーガ 』(3)

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こんにちは。ローズガーデン自然生活です。

私の家には風鈴がありませんが、クーラーの前に、アメリカのセドナで買ったウインドチャイムを下げています。
ウィンドチャイムの鐘の音が、風鈴の代わりです。
不思議なことにウィンドチャイムは、何か幸せなことあるときれいな音色で響きだします。部屋の中でのお気に入りアイテムの一つです。


さて引き続き、ギャーナヨーガ(知性のヨーガ)を読み進めて参ります。今回は自己犠牲について説かれています。

名著に学ぶ『ギャーナ・ヨーガ 』(3)
第1章 人間の本性

(P.40)
四つ葉...もっとも無情なハートも、ときどき他の生きものへの同情を感じます。この見せかけの個人性は実は妄想である、この見えているだけの個人性にしがみつくのはいやしいことである、などときかされるとおそれる人、まさにその人がみなさんに、極度の自己犠牲がすべての道徳の中心である、と言うでしょう。では何が完全な自己犠牲なのですか。


四つ葉...それはこの目に見えている自己の放棄、すべての利己性の放棄のことです。この「私に」と「私の」という観念、すなわちアハンカーラとママターは過去の迷信の結果であって、このいまの自己が消えてしまえばしまうほど、真の自己がはっきりとあらわれてきます。これがほんとうの自己放棄、すべての道徳上の教えの中心であり、根底であり、要点なのであります。そして、人がそれを知る知らぬにはかかわらず、全世界は大なり小なりそれを実践しつつ、ゆっくりとそれにむかってすすんでいます。


四つ葉...ただ、人類の大多数は、それを無意識のうちにおこなっています。彼らにそれを、意識しておこなわせよ。この、「私に」と「私の」は、真の自己ではなく、一つの限定にすぎないのだ、ということを知りつつ、犠牲をささげるがよい。しかし背後にある、かの無限の実在の片鱗――すべてである、かの無限の火の一つの火花がつまり、そこにあらわれている人なのです。無限者が彼の本性なのです。

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自己犠牲についての説明がありましたが、果たして自己犠牲というのは不幸で苦悩なことなのでしょうか。ここで説かれている自己犠牲はキリスト教の自己犠牲と少し違うように思います。
真の自己犠牲は、真の自己が現れる過程と言えるでしょう。
感覚の中に本当の幸福はあり得ず、ただしい霊の知識によって導かれるのだと言えるでしょう。
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