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2018年8月19日

中国・チベットの歴史に学ぶ【2】

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歴史的な餓死者が出た毛沢東の「大躍進」

(こんなことはちょっと書きたくなかったのですが、いろいろ考えて伝えることにしました。。。。。何ていうか本当にひどい国ですねぇ。一言で言えば目茶目茶に食糧を吸い取ったのですね。真面目に呆れています。)

毛沢東は中国共産党をソ連に並ぶ社会主義国家にした。

その為の政策の一つが「大躍進」と言われ、

「私有財産の否定」の思想に基づき家庭での食事の代わりに、

「公共食堂」なるものに置き換え、

生産・商品に至るまで公有化を図るものだった。

しかしながらその三年間に及ぶその政策は、

4500万人(一説には8000万人)という、

中国史上最大の餓死者を生み出し大失敗に終わる。

農作物は買い上げ目標に基づき国家中枢権力に、

暴力的に吸い上げられ、その結果農民の食糧がつき、

食べ物に欠乏した人々は樹木の皮を食べ尽くし、

挙句の果ては死体を掘り起こして人肉を食べるという

惨状目を覆うものとなった。

そして穀物買い上げ目標を達成するために

役人の暴力がはびこり、

生きるために自己保身の嘘が当たり前のことになった。

毛沢東の行った狂気じみた政策は、

断じてソ連型の社会主義建設ではなく、

マルクス・レーニン主義ではなく、

弱者救済のプロレタリア革命ではなく、

明らかに暗黒の全体主義とよぶべきものだった。


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1949年 北京に全国の著名な有識者や諸党派の代表が集まり、中国人民政治協商会議が開催されました。
この会議では新国家の国号を「中華人民共和国 (People's Republic of China )」とし、毛沢東が主席に就任することが決議されました。
また、北平を北京に改称し、南京から遷都することになりました。
1949年10月1日、毛沢東は北京の天安門壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言します。そして同年重慶が陥落し、蒋介石率いる国民党政府を台湾島に追いやりました。

共産党は政権を取ってから、情報と真理を独占し、中国の伝統的価値基準も前面否定しました。
それからすべての文化芸術団体は毛沢東を称え、マスコミは全力で彼や共産党が偉大で英明であるかというニュースを伝えました。

1956年 毛沢東の発動した高経済指標により、政府による穀物吸い上げ量があまりに多く、この頃より農村には大量の餓死者がでていました。
1958年 毛沢東は「イギリスを15年以内に追い越す」ことを目標として農業と工業の大躍進政策を発動します。
1959年 彼の狂気じみた考えを修正するため、「廬山会議」で大躍進批判が提出されると、毛はたちまち開き直り、修正するどころか前の誤った政策を推し進め、農民を餓死さえた政策を3年の長きに渡って推し進めたのでした。
(ちなみに毛沢東はヒトラー、スターリンに続く「世界三大大量殺戮者」の一人である。)


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1959年~1961年に毛沢東が推進した「公共食堂」 
農家ごとに食糧を分配することは私有財産を保有する隙を与えることになるとして、大規模な食堂 を建設した。

(続く)

出典:
『毛沢東大躍進秘録』
楊継縄著(元新華社通信高級記者)