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2019年6月16日

チベット・ネパール旅行記 5日目~西寧 青蔵鉄道 拉薩 『永久凍土を超えて』~

『永久凍土を超えて』

今日はポタラ宮とジョカン(大成寺)を観光します。
ポタラ宮は、外見のイメージとは裏はらに、中はチベット密教美術の荘厳さに溢れています。
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中に入らないとその素晴らしさは分かりません。
残念ながら中は写真撮影が禁止なのですね。
ポタラ宮の周りをチベット僧やチベット族の方がマントラを唱えてマニ車を回しながら、巡礼されています。
ポタラ宮の中では柱の影にチベット僧がひっそりと座って、さながら即身成仏に向かう雰囲気です。
その独特の雰囲気はなかなか言葉でお伝えできません。
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ゲルク派総本山の大成寺(ジョカン)です。お坊さんの姿は迫力満点です。
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八街堂(パルコル)付近です。珍しいチベット密教の宝具が沢山らあります。制圧の多いチベットですがお土産屋さんは明るく賑わいます。
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この日の夕食はチベット料理のバイキング。不謹慎ながらチベット料理のヤクの肉はクセがなくついつい戴いてしまいました。

ここでヤク(チベット牛 英名YAK)について少々。
ヤクは牛に似た黒い毛の動物で、荷物の運搬、使役、繊維、皮、骨、角、乳、糞の燃料まで更に糞は皿洗いまで、全ての部分が無駄なく有効に使われるそうです。チベット人に欠かすことの出来ないヤクは3000m以上6000mの山岳高地にしか生息できない厳しい環境に耐える限られた動物で、中国西部カシミール、チベット高原で生息しています。
ヤクの値段は一頭五千元。乳は塩と一緒にお茶をとかしバター茶として飲みます。バター茶はチベット人の主要な飲み物で厳しい寒さを凌ぐための栄養分がたくさん含まれています。

拉薩のどこかに、ヤクを讃えた、黄金のヤク像があるらしく、それは見ることが出来ませんでした。
ヤクはチベット人といつも一緒でした。
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※他の写真はチベット・ネパール フリーダウンロードをご覧下さい。

それにしても拉薩に来てから突然頭痛と鼻血が出てびっくり!!
鼻血なんて子どもの頃に出たくらいですから。
実はこれは高山病らしくてルームメイトや他のツアーのメンバーも同じ症状なのですね。

私はあまりの頭痛で、夜中中のたうち回り、朝まで一睡も出来ませんでした。何かの呪いかと思ってビックリしましたが、とうとう私も高山病になったのです。

カトマンズに行ったら頭痛は止まりましたから、間違いなく高山病でしょう。
どうもここも私の住む所ではないらしい。。。

因みに海抜は以下の通りです。
・中国      西寧        2,275m
・チベット  拉薩        3,650m
・ネパール  カトマンズ  1,400m
・日本      東京        1m!!

チベットもまだ自由が少ないものの、感動的なところでした。
チベットの方々の人権と自由を御守り下さい。
チベットの文化や生活を御守り下さい。
少数民族の人権と自由を御守り下さい。

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2019年6月16日

チベット・ネパール旅行記 4日目~西寧 青蔵鉄道 拉薩 『永久凍土を超えて』~

『永久凍土を超えて』

青蔵鉄道とは、世界一高いところを走る鉄道で、青海省の西寧と西蔵自治区(チベット)自治区のラサを結ぶ鉄道のことで、全長は1956キロメートルもあります。

また青蔵鉄道は青蔵高原をほぼ南北に縦断し、海抜4000メートル以上の部分が960キロメートルもあり、また永久凍土部分も550キロメートルもあります。

車両内の酸素濃度は標高3,000m程度の約80%に保たれています。
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この青蔵鉄道は五つの世界一があるそうです。
鉄道マニアでしたら一度は乗ってみたくなるでしょうね。

青蔵鉄道五つの世界一

1.世界一標高の高いところを走る鉄道。最高地点タングラ峠は標高5,072m。
2.世界一標高の高い鉄道駅。タングラ(唐古ジ)駅の標高は5,068m。
3.世界一標高の高い凍土トンネル。風火山トンネル(隧道)の標高は4,905m。
4.世界一長い凍土トンネル。崑崙山トンネル(隧道)の全長は1,686m。
5.世界一長い凍土上に作られた鉄道橋。清水河特大橋の全長11.7km。

残念ながらこれらの殆どは夜中に通過するため写真撮影は難しいのです。
それでも崑崙山を過ぎるくらいに太陽が昇りますから、そしたら写真撮影に全力投球です。
夜は期待でワクワクしながら座席でやすみました。

ちなみに料金は発行手数料抜きだとこのくらい。
硬座席:217元
硬臥席(寝台車):511元
軟臥席(寝台車):808元

青蔵鉄道は、摩尼車を回してるチベット族、日本人、中国人、帽子を冠ったウイグル族、その他色々な民族の方々が乗られています

一般車両は夜は雑魚寝状態で、風景を見たり、食べ物を食い散らかして、それぞれ楽しく鉄道の旅を楽しんでいます。中国人はヒマワリの種や乾燥ナツメが好きらしく、私の席の周りでひたすら食べています。

ここは主に車窓の中で撮った写真だけ掲載します。
※他の写真はチベット・ネパール フリーダウンロードをご覧下さい。


・明け方
ものを言わぬ荒涼とした大地が広がっています。 
青蔵鉄道は時間を忘れて車窓の景色に吸い込まれていきます。崑崙山は過ぎてると思いますがちょっと場所は不明です。
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・永久凍土
赤土と雪のコンストラストが美しい。
人々の苦しみはここに静かに封印されたのか。
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・ニェンチェンタラ峰  ダムシュン駅
真っ白く汚れない山。ただただ静かで澄みきっています。この山の向こうに聖湖ナムツォがあります。ダムシュン駅でかなり人が降りましたがみな観光でしょう。
チベット(西蔵)はもうすぐ!
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最後の駅のヤンパチェンを過ぎて拉薩に向かいます。この辺りからすっかりチベットの風景です。建物には有名な五色のタルチョが飾られています。
辺り一面放牧されたヤクたちがのんびり草を食んでいます。


・拉薩駅
ここも軍服を着た男達が検問で怖い...
何かあると怒鳴りちらしていて、偉そうで不愉快でした。

駅をでると女性のガイドが迎えに着てくれて、私の首に白い布のスカーフをかぶせてくれました。

「Welcome To ラサ!  中国サヨナラね。」
「ここはチベット仏教の信仰が許された地です。」

拉薩駅はまるで籠城して中国共産党と闘っているような姿です。かわいそうで涙がでます。
毛○東の作った国は気持ち悪い程強く、あんな国に勝てる訳がないのに。。。
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私の宿泊した西蔵剛堅拉薩飯店のロビーです。
このホテルのロビーはド派手でビックリでしょう?
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2018年8月19日

中国・チベットの歴史に学ぶ【2】

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歴史的な餓死者が出た毛沢東の「大躍進」

(こんなことはちょっと書きたくなかったのですが、いろいろ考えて伝えることにしました。。。。。何ていうか本当にひどい国ですねぇ。一言で言えば目茶目茶に食糧を吸い取ったのですね。真面目に呆れています。)

毛沢東は中国共産党をソ連に並ぶ社会主義国家にした。

その為の政策の一つが「大躍進」と言われ、

「私有財産の否定」の思想に基づき家庭での食事の代わりに、

「公共食堂」なるものに置き換え、

生産・商品に至るまで公有化を図るものだった。

しかしながらその三年間に及ぶその政策は、

4500万人(一説には8000万人)という、

中国史上最大の餓死者を生み出し大失敗に終わる。

農作物は買い上げ目標に基づき国家中枢権力に、

暴力的に吸い上げられ、その結果農民の食糧がつき、

食べ物に欠乏した人々は樹木の皮を食べ尽くし、

挙句の果ては死体を掘り起こして人肉を食べるという

惨状目を覆うものとなった。

そして穀物買い上げ目標を達成するために

役人の暴力がはびこり、

生きるために自己保身の嘘が当たり前のことになった。

毛沢東の行った狂気じみた政策は、

断じてソ連型の社会主義建設ではなく、

マルクス・レーニン主義ではなく、

弱者救済のプロレタリア革命ではなく、

明らかに暗黒の全体主義とよぶべきものだった。


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1949年 北京に全国の著名な有識者や諸党派の代表が集まり、中国人民政治協商会議が開催されました。
この会議では新国家の国号を「中華人民共和国 (People's Republic of China )」とし、毛沢東が主席に就任することが決議されました。
また、北平を北京に改称し、南京から遷都することになりました。
1949年10月1日、毛沢東は北京の天安門壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言します。そして同年重慶が陥落し、蒋介石率いる国民党政府を台湾島に追いやりました。

共産党は政権を取ってから、情報と真理を独占し、中国の伝統的価値基準も前面否定しました。
それからすべての文化芸術団体は毛沢東を称え、マスコミは全力で彼や共産党が偉大で英明であるかというニュースを伝えました。

1956年 毛沢東の発動した高経済指標により、政府による穀物吸い上げ量があまりに多く、この頃より農村には大量の餓死者がでていました。
1958年 毛沢東は「イギリスを15年以内に追い越す」ことを目標として農業と工業の大躍進政策を発動します。
1959年 彼の狂気じみた考えを修正するため、「廬山会議」で大躍進批判が提出されると、毛はたちまち開き直り、修正するどころか前の誤った政策を推し進め、農民を餓死さえた政策を3年の長きに渡って推し進めたのでした。
(ちなみに毛沢東はヒトラー、スターリンに続く「世界三大大量殺戮者」の一人である。)


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1959年~1961年に毛沢東が推進した「公共食堂」 
農家ごとに食糧を分配することは私有財産を保有する隙を与えることになるとして、大規模な食堂 を建設した。

(続く)

出典:
『毛沢東大躍進秘録』
楊継縄著(元新華社通信高級記者)